悪に対する感性
椎名誠は前編が先週公開されていましたよ、と思ったけど書けなかった。
基本、私は人の些細な思い込み、訂正すれば了解されることは、別に訂正前後で何が変わるでもなし、
相手が疑いなく正しいと思っていることは、その正しさに圧倒されて、
何にも言うことが見つからないのであった。
いじめられた経験があるから、と言うのはこじつけかもしれないが、
少しでもアウェー感があると相手が気分を害するのを恐れ、些細な突込みでも入れられない。
ちなみに私は上級職、幹部候補生だったりはするが、班長になれれば上等だろ、ぐらいであります。
過去のfinalventの日記を読んでいると、大衆の愛、元ネタは吉本隆明だったらしい、が書かれていた。
私は知識人かと言われたら、ただの新書読みだし、大衆か。
愛をもっているのか。
確かに言えることは孤独感なんて全く持っていない。
悪に対する文学的感性もないだろう。
趣味で学問をしたい思いはあるが、それは正面切ると押しつぶされることが分かっているからである。
暫く前から、彼女の私に対する声のトーンが低い。私は彼女に安心感を与えている。
私も彼女に対しては、関係が壊れる恐れがないと突っ込みを入れたりする余裕も出てきて
対する声も落ち着いたものになっている。
私の病名を告白した。
受け入れられた。
ま、彼女ののんきな性格ならと言うのもあったのだが
私は彼女を愛しているのか、守りたいと思っているのか。
この人に転ぶのか。
名もない人生として、もっとひどい事態もあり得たし、今でもありうるかもしれない。
まだ分からないけど、それはともかく、私自身が大衆の信頼を体現できるかと言えば、どうでっしゃろ。
深く考えまい、と言いつつ、文の構造めちゃくちゃだな。
言い訳しておくと、言えばドン引きする病気を持っていることは伝えていました。