宮台教授の就活原論

宮台教授の就活原論

宮台教授の就活原論

この本は、大学生向けに書かれた宮台先生の総決算っぽく、一見は悪く言えばまとまりがない。

で、私の読み方としては、まとまった著者の意見は横に置いておいて、分かるところだけつまみ食いすると、新しい概念を得た気持ちになれる点が2,3あった。


まずは、「ひとかどの人物」である。

「ひとかどの人物」になったら、内定を何十社もとれ、モテるようになる、とある。

そんな卑賤なことを目標にするような奴はひとかどの人物じゃないじゃん、とは思うが、

へたれが

1 限界を試したことがないのでビビりがちだったり、

2 同じ理由でお門違いの自己実現欲求を抱いていたり、

3 どんなボタンを押すとどんな社会過程が動くか知らなかったり、

4 他者の構えに鈍感

と書かれ、その反対になれるとなると魅力的な物件だな、おい。

ただ、ひとかどの人物は4 人を幸せにすることができるというと

宮台の例、小室直樹廣松渉に4が当てはまるかというと

「世間の荒波に揉まれるほど、過剰さの角がとれるどころか、(見かけでない本質が)ますます過剰にな」り、

「人格的に円熟した柔和な存在」ではない。

ようするにカリスマを持ったトンデモさんのすすめになるのではないか、というか、人を幸せにできるか(不幸せにできるか)関心の有無はあまりない人も「ひとかどの人物」になるのではないのか、と開眼しておもしろかったのである。

人をどう評価するか、人からどう評価されるかは関心がないというか、そういう生き方って素敵じゃないか、みたいな。

小5で苛められて以来、人からどう思われるかを常に行動の基準にして汲々とした身には目から鱗、であった。

と、秋津を知る人には、あんまり気にしているようにも見えないかもしれないけど、一応、人の目を気にしている。

そこからもう少し、自由になってもいいじゃないか、みたいな。


あと、幼いことときから勉強ばかりで遊びをしていないと、コンパの手配もできない、

それだけでなく、人に揉まれていないと、仲間の暗黙の呼びかけで仕事をするということができないので簡単な事務もできないかもしれない。

と書かれて、うちの家人を思い出す。

こいつ、中学で体育会系の部活に入っていなかったからか、「指示されていないから動けない」と真顔でいうやつなのである。

必要な時に必要な経験をしていないと、あとで困るっつーかゼミで1〜3年も揉まれるとたくましくなるそうだっつーか、うん、結論は無しだが、

子育て中の人が見ても目から鱗なのではないだろうか。