科学的とはどういう意味か

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

どの人を信頼するかというのは科学的態度ではないのだな。

強引に言うならば、文系は情報を覚えること、理系は方法を覚えること、だそうだ。

数の組み合わせは無限大で、公式を覚えたりすることが数学ではないのだ!

科学者は自由な発想を持つということを重視する。

クイズ番組的知識はいくら持っていても、ある一つの問題に対して、答えを知らなければ、その人間は無能なのだ〜というのが理系視点。


高校レベルの化学は暗記モノだと書かれていて、物理が理系科目だそうなのだが、私は理系とはいえ生物系で、物理はとっていなかった。

理系なのかな?と思ったときに、

テレビなどで、コメンテーターが答える具体的なことを聞いているのか、最後どうなるかの感想を重視しているのか?

感想を聞いたって現実は変わらないと思う視点がなかったツーか、偉い人の言うことの具体的なことではなく、安全か安全でないのかの2択を求める傾向も無きにしも非ず。

人の言う内容を自分で検討するのではなく、信頼できる人はだれかという視点しかなかったので、鉄壁の文系か。


ま、さすがに自分の興味ある分野、神の不在をゲーデル不完全性定理が証明した(だったけな?)と頭ごなしに言われても、中身を自分が精査していないのなら、信頼できるかどうかは保留にするけど。

逆に言うと、誰でも自分のわからないことをそれっぽく言われると、人の言うことをケロッと信じてしまうことなんていくらでも転がっていそうな気もする。

その怖さを自覚して、と、森さんによると、科学とは「誰でも再現できること」だそうで、専門外の分野だと「再現したと誰それが言った」と伝言ゲームにしかならないので、やっぱり誰を信頼するかという問題にもなりそうな気もする、なんちゃって。

先輩に、査読が入るかどうかが信頼されるかどうかだ、そんなことも知らないのか。うちの研究所の論文は査読が入ったということで論文文末の参考文献にあげてもいいのじゃ、と呆れられてからひと月もたっていなかったりもするのでした。(うちの研究所の研究論文はCiniiで引っかかる)

それはともかく、なぜテレポーテーションが不可能なのかという突込みもその視点はなかったし、実家で3人で回し読みして、みんな面白かったと言って、さらっと読めるので、電車のお供にもよいと思う。