発狂ポイントと決めつけと本音

香山リカちゃんは大学生のころは図書館においてあるのをちょこちょこ読んでいて、

就職してからはネットのあまりよくない評判を流し切れずに、あまり熱心にチェックはしていなくて

でも、1年半ぐらい前に立ち読みした時、7年ぐらい前の本だったからかもだけど、

床屋談義としてはそれなりに面白くそれなりに評価を上げって、

新書で面白い題名だと手に取ろうとすると、リカちゃんだよってな感じで。

読まないときも多いけど。

それなりに自分は相手の評判を鵜呑みにしないように気を付けていたつもりだけど、

山本さん、および風野先生は真に受けてしまった。

山本さんは(原典に当たって私はそこまできつい評価を下さないと判断したのは)ともかく、風野先生の件は、ちゃんとTV番組中に私でも納得できる根拠があるのかもしれないし、

でも、リカちゃんはそんなつもりではなかったと言うのかもナと想像してしまう。

根拠があれば、きつい判断を下していいのか?


今日、電話で「その資料は探し出してFAXします」と言われたので「ちょっと他の仕事で席を外します」と答えると

「FAXだから関係ないよね」とちょっとウザったそうに言われてしまった。

うん、そう突っ込みを入れたくなるのは当然だ。

でも、私は、どうせ資料を探し出すのに時間がかかって、FAXされるのが3時間後もありうるし、可及的に他の仕事をしたいので、送られた資料の打ち合わせは送られてすぐにはできなくてすいません、のつもり(分かりにくいな)であった。

そういう自分の思考法に正当性があるとは思わないし、FAXしてもらうことに異議はないことは当然わかってもらえず、うざがられて、どうせ自分はその程度のことも気がつかないバカと思われているのだということも確認できて凹む。

そういう相手がマイナスポイントだと思う点ではミスを犯していないけど、誤解は解けず、評価はますますマイナス、みたいなディスコミュニケーションの可能性は、みんなどう考えているのだろう。

自分が判断できる根拠があれば、すなわち相手の判断を冷徹に下していい、みたいな。


相手がどうしてこういう行動をしたか、自分の判断とは別に理由があるとは考える余裕を持ったほうがいいのか、どうか。

「Aである」と言う発言があったとして、そのことを相手の背景を考えることなく、反射で非難する時、発狂ポイント(だったっけな。BY極東ブログ)があるというのではないかと考えてしまったり。

だいたいどんな発言にも一理はある。

その一理、デメリットを上回るメリットを見つけるのが普通として、デメリットがあることは否定できない。(となんとなく原発を考えている)

社会的タブーに触れることをどう許容するか。

相手が私のタブーに触れたとして、私も相手のタブーに触れていると考えると、その点は礼儀正しく突っ込んでも、あまり相手がムキになるような、傷つくような言い方はしたくないよな。

山本さんはそれが芸風として、素人がまねるとただ自分が誤解していただけで問題はなかったりと言う危険性もあるし。

誤解される行動があるのも悪いかもしれないけど、自分の言うことが相手に誤解なく伝わる、と思い込めれる誤解された経験がない人ってほんのわずかだとも思うし、お互い様と思えないかな。

思いやりを持たない訴訟社会のいい面悪いを、なんとなく連想してしまった。

別にFAXの件をそんな大事に考えているわけじゃないけど。

「独裁」入門 (集英社新書)

「独裁」入門 (集英社新書)

で、それとは関係なく、リカちゃんの独裁者な本であるが、文脈読まずにある一文だけ取り出して、意味が違うくなるのに、ついつい非難してしまった例を上げている。

私もその立場なら非難しただろうなと分かるので辛いが、事情を知らない当事者ではない外野がどう意見を述べる態度がいいのか。

そういうツイッターが流れたら、ついそれだけが事実と思うんだろうけど、あまり手軽に発言でき過ぎるのも問題なのか、と新しい問題の存在に気がついた本でありました。

誤解を解くにも時間とそれを受容する気持ちがないとだめで、もともと無関心か好意的でない人にそんな手間はかけれず、少し手間をかければ氷解する誤解がそのまま流通する怖い社会になったのだな。

解決方法はないんだろうけどさ。

尺に限りにあって、言葉のたつ人が有利なテレビとか、140字限定のツイッターとか背景を考える仕組みができていないインフラが基本となる現代社会ってこわーみたいな感想をば。リカちゃんはそこまで言っていないかもだけど。


と[考えごと]のカテゴリーの記事は飛躍する電波系思考をダダ流しにするエントリで、特に根拠はありません。