無所属の時間
無所属の時間―新しい視点を生む物の見方・考え方 (PHP文庫)
- 作者: 山本七平
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 1988/06
- メディア: 文庫
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山本七平を読むと、何かしら発見がある。
普通の本は読んでも3日後に内容が思い出せないことも多いが、山本さんの場合、あーいうことが書いてあったと思いだせる。
死にかけた戦争体験者の視点は、私にはよく理解できないことでもあるが、おじーちゃんが真面目に話しているんだから、覚えておこう的な雰囲気を醸し出す。
この本では、finalventさんがぼそっと書いていた塚本虎二やユスセフのことに触れられており、彼らの本が俄然読んでみたくなる。
さて、この本で一番に覚えておかなくてはいけない気がするのは、内村鑑三の言葉だ。
何かの座談のとき、彼は「大きくなったら何になるの?」と子供に聞くことが、日本を滅ぼすであろうといったそうである。
人間は何かに「なる」のではない、何かを「する」存在である。
しないで「なる」ものはこの世に貴族と乞食しかない―そして彼が生理的とも言いたいほどの嫌悪感を示したのがこの両者であり、弟子を叱りつけるとき「それは、貴族根性で乞食根性だ!」と言うのが常であったそうである。
確かに近ごろは、学問を「する」のが目的か、大学生に「なる」のが目的か、まことに判然としない人が多いが、これは学問の世界だけではなく、社会のすべての面に共通する現象のように思われる。
小説を書きたいのか小説家になりたいのか、出版をしたいのか、出版者になりたいのか(略)
凡百のビジネス本を読んだって得られない境地だな。
そもそも私はなぜ仕事ができるようになりたいんだー
勝間さんは子供との時間を作るため的なことを言っていたが、私は今のところよくわからない自己実現の域にとどまっている。
先輩はサービスされる側への貢献だと言っているけど、自分の家庭を犠牲にする価値はあるのか、とか思うし、自分は中途半端なんだよな。
犠牲を払わずに良く思われたい的優等生的価値観に侵されているかな。
自分は何をしたいのか、それが問題だ。
とりあえず問題が分かっただけで進歩と言うことにしておこう。
私が学問がしたい点については、今日のfinalventの日記を読みつつ、オレ、そこまで情熱ないよね、でも、誰かが調べないと、世の中の流れに竿を立てなきゃ気持ちが悪い気もするし(←表現変か?)と、やる気のなさが露呈するのであった。
仕事と家庭と趣味は成り立たない(BYちきりん)的な決断は3年は伸ばすつもりであるけど、ふぅ
その他、死期が近づくと人が宗教的信仰的になる理由、交通戦争と世界大戦の人の心理の痛ましい類似点とか
「一番恐ろしい話」は、おそらく「どこの口を通してきたか分からぬ言葉」で生きていることであっても、その言葉が何かを引き起こしたときの様々な残虐事件そのものではない。
さらに恐ろしいことは、何かが起こったときの、その情景描写はあっても、それが「どこの口を通して来た」言葉によるかをだれも究明しないことであろう。
↑ナチスの虐殺とひっかけて語っているけどちょっと難しくてわからなかったけど、山本さんの本は永久保存本と決めているので、また読み返してみよう。