商店街はなぜ滅びるのか

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

私は歴史の本もよく買うのだが、97%積読である。

興味はあるが、実際に読むとなると、現在とは違う異次元の話を読むようで、集中力が続かない。

(それはそれで面白いように思われるかもしれないが、1Pの中に詰まった新しい知識が多くても読みづらい)

しかし、この本は商店街の変遷を書いているが、社会・政治・経済状況にも記述の対象を広げて、その中で商店街の位置づけを行われており、要するに無味乾燥な歴史というより物語のような、一人の人間の視点から話が展開していくので、もろめちゃ分かりやすかった。


商店街は、これまで零細な事業主が集まっている地区とされてきた。また、外部に対して閉鎖的な共同体とみなされてきた。

20世紀前半の零細小売業者は、農業者から零細な小売に、貧相な店舗、屋台での商い、あるいは店舗がなく行商する者が多かった。こうした零細小売の人々を貧困化させないために商店街は生まれた。商店街は20世紀になって人為的に作られたのである。

設立時期が昭和20年前である商店街はわずか6%で、多くの商店街は戦後以降の形成である。

戦後、零細小売業は新百貨店・大規模小売店舗法で百貨店・スーパーの攻勢から保護されたが、零細小売業の生産性の低さ、販売効率の悪さが問題となってくる。

(商品が定価で売られる時代、生産者中心の時代って、今からでは想像もできない。消費者中心が革命とみなされた時代)

そして、日米構造問題協議により、急激な規制緩和が行われ、零細小売業の体力が奪われ、コンビニに流れて行き、商店街は終焉を迎える。


江戸期の商家は店を後世に残すという意識が強く、家族成員が跡目にふさわしくなければ、家族以外の人材を積極的に登用していた。1980年代は家族成員以外のものを経営に参加させなく、跡継ぎ問題が起こる。


目から鱗の連続であったし、コンビニ店長を親に持つ筆者のあとがきが泣けた。