ロマンティックな狂気は存在するか

ロマンティックな狂気は存在するか (新潮OH!文庫)

ロマンティックな狂気は存在するか (新潮OH!文庫)

精神科医から見た世間一般の狂気に対する突っ込みは身も蓋もない。

精神科の外来で何十人もの患者と毎日顔を合わせていると、ときおり出会う質問がある。

その質問を寄せる患者は皮肉っぽい表情を浮かべているのが普通で、

「先生、あなたは正常と狂気との境目をちゃんと分かっているんですか?」

これは素朴な質問として発せられているのではない。

その証拠に、質問している患者の鼻の穴は得意げに膨らんでいるし口の一端は挑戦的につりあがっている。(略)

さて、正常と狂気との境目について患者から詰問されて、精神科医である私がうろたえるかといえば、ちっともそんなことはない。

片手でボールペンをオモチャにしながら、「あなたはどう思いますか?」と逆に質問をしてわざと相手を怒らせてみたり、

「どうしてそんなことが今になって気になってきたんですか?」と一歩引いてみたり、いずれにせよ駆け引きを楽しんでしまう。(略)

そんなに平然としている位ならば、では肝心の答えはどうなのか。

出だしでガシッと心を捕まえられてしまう。

回答 境界線なんてものが正常と狂気の間に存在しないことが分かっているから、質問そのものに意義を認めないし、それで精神科医として不都合を感じていないから、いくら返事を迫らようとも、痛くも痒くもないのである。

なんちゅーか、ちょっと皮肉屋の春日先生の味が多いに楽しい。

一応は「正常」の領域に生きているとされている我々であっても、心の中に狂気をひっそりと飼っている。

そんなことは当たり前の話で、それをことさら大変なことのように感じるものはアホである。

この本を読んだのはおよそ10年前、大学生のころだったが、いま読み返して、私の辞書の狂気の項目に大きな影響を与えたことが分かった。

さっきから延べている如く、おそらく読者諸兄が予想しているよりも狂気の類型が少なく、精神疾患が結局はその類型へ収束していってしまう場合がほとんどである。

本人や家族からあれこれ話を聞き、言動を観察し、経過を追っていけばおおむね類型が透けて見えるのだ。

その意味で、真に自由でユニークな狂人は滅多にいない。

そして、この分類は聞いたことがないけどありそうだと思ったのは

そもそも、狂気には「過剰」の部分と「欠如」の部分の双方があるに違いない。

こう書き抜いていると、春日先生が狂気の人を遠回しに馬鹿にしていると思われるかもしれないが、そうでもない。

「狂気に対して冷静な態度」(はじめに、より)で、狂気に対して、一般人が抱く勝手な思い込みが許し難い、そんな正義感が透けて見える(よーな気がする)

春日先生の本は、偏屈な春日先生を楽しむ、エンターテインメントとして上質で、精神病に対する偏見も薄くなる一石二鳥の本なのである。

読んでみそ。