思考のレッスン
- 作者: 竹内薫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/10/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いかなる人がまともであるのか?
自分は気が狂っているのではないか、あるいは、周りは気が狂っている、と、思春期で思わないやつはいないのではないか。
で、自分は、まともな人とはどういう人かということに関心がある。
竹内は、ニーチェの言う超人が、社会的な価値に従うことのできない人、自分勝手な人、自分の中に価値観があって、それに基づいて生きている人、要するに外に倫理の規則を求めちゃう人でなくて、自分の内側で自分の責任において何が価値があるか決められる人といって称揚している。
それでいうと、日本人は基準がない、と。
ここでちょっと思い出す文があって、
なんか食べたければそこで食べるというような状況に身を置くことからは一歩どこかで退いて、自分の中に諦めを生み出す枠を築き上げていく作業というのをできることが、教養があるということなんだろうと私は思うんですけどね。(略)
まさに欲望の限りない欲求の「邪魔」をしてくれるのが教養だと考えられるからです。
- 作者: 村上陽一郎
- 出版社/メーカー: NTT出版
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- メディア: 単行本
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枠を自分の中に作る、村上は規矩と言ってますけど、それが大事☆みたいな。
いや、わたしも生き方の指針、自分をなにで律するかに悩んでいるんですよ。
絆とはなんぞや、正義とは、善とはなんだ←サンデルは積読だけどさ
私は後ろ指さされない人、まともな人になりたいのである。
みんなの納得項が正義で?
いや、最大多数の納得項で動くのが良いことだとは思えないし、かといって独善的な規範を持つのは嫌だ。
結構こだわりが強い人も扱いづらいっていうか。
で、ちょっと竹内の意見が参考になった。
自分の意見をつゆほども疑わない人、自分が正論であることを勝手に確信している人がいる、自分も無知かもしれないし、自分でもひょっとしたら自分では気づかないかたくなさを持っているかもしれないけど、明らかにその局面においてはこの人の無知、無自覚はかわいそうだ、という記述があった。
頑なさの基準が問題なのだ、と閃いたのである。
それでいうなら、私は意見の違う人はOK、一緒に何かを作り上げていける、そのコミュニケーション力が大事だと思っていたので、コミュニケーションに差し障りがない程度の頑なさ、なわけないか。
どんなところで頑なさを持っていいのか、全然問題は解決していないが、「自分の規範を持つ」ということは「どこで頑なさを発揮するか」ということの言いかえだと分かったので一歩前進したことにする。