チャンピオンたちの朝食
一方、ウェイン・フーブラーは、なにも機械らしいことがやれずにいた。
彼は役に立つ機会になりたくてたまらなかった。
なんとゆーか、オチは最悪ではないもののWORSEである。
でも、からっとしていて、明日からも頑張ろうと思わせられる。
それに一個心にしこるものが残されたりして?
ある登場人物は、この世のすべての人は自分を刺激するために創造主が作ったものとするSF小説の言葉に浮かされて、多数の傷害事件を起こす。
人を人とも思わず傷つける。
自分も人の人生を尊重するという耳当たりのいい言葉の裏で人を人として扱って(扱われて)いないのではないか。
登場人物のように、人を機械ととらえる程度のつきあいか。
それはそれでよいかもしれないが、それはそれでさみしいものと感じさせる。
とゆーのも、作られた小説の人物にかかわらず、信賞必罰を期待する程度には感情移入をして傷害事件の行方が気になり見捨てられない。
「小説は人の人生を切り取ろうとするが、人の人生は小説で切り取られるものなのだろうか。
切り取られるような人生は、人に書かれる程度の人生だが、そういう人もまた多い。」(意訳)
(と、地の文で書かれている)
人の頭で考えつくようなありきたりの人生だが、職を探す黒人やレイプされても面倒事を避けるために訴えない白人少女の悲しみは嘘っこなのか。
読んでいて境遇にジーンとなる。
そういう淡い共感がある付き合いをしていきたいと思うのである。
人は人を殺さないよう育てられ、「人を殺していけないのはなぜか」という質問をされることで社会はすでに負けているという意見(意訳BY宮台真司)が好きだ。
機械の付き合いではなく、理屈では割り切れない付き合いがある人生っていいよね。
作者は人に書かれるような人生に対して否定的な一方で、ありきたりな社会的落伍人生でも、共感を呼ぶ人生ならありじゃないかと言っているようで、一般ピープルの生き方しかできない私でも癒されるのである。
わたしにも人生の選択肢は残されている!
それってなんて希望!
オチから、そういうことはありえないと言っている気もするけど。
私は、小説の人物のいく末を気にする程度にしか現実の人々に関心を抱いていないのかという疑問も同時に出てきて居心地が悪かったのであるが、気をつけようっと。
それと、作中に作り物の世界だから作者の思い通りになるから、登場人物にノーベル賞を与えるとか書かれても全く有難みがないっツーか、どんなに賞賛されようとも実態がこれでは、社会的な成功と人生の成功は別だと思わせられて、人生の落伍者万歳!
- 作者: カート,Jr.ヴォネガット,カート・ヴォネガット・ジュニア,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
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