更新鬱期
「スロウハイツの神様」を読む。
自分は一度ネットでトラブって5年以上ご無沙汰していたが、帰ってきた。
表現することに対して、飢えがないのかと言われれば、少しはあるんじゃないかとは思う。
しかし、一時間以上表現方法を考えると飽きるし、試験が気になると、ブログ更新どころじゃないっす。
環ちゃんほど、トラウマはないし。
表現のコアはないし、本を読んで救われたということはないし、「神様」は良くできた話以上の感慨は得られなかった。
ハッピーエンドでなかったとしたら、どうだろう?
食べれなくなるほどの狂おしい自己表現への欲求がバッドエンドか。
それはそれでありきたりだ。
この伏線の回収具合からすると、著者は見たことのないバッドエンドも書き得たのではないかと思うし、そっちを見たかったか?
飛ばし読みだと正義の表現方法が変わった理由が分からなくて残念だが、狩野さんのエピソードが好きだし、コウちゃんの書くことに対する覚悟の決め方は好きだ。
振り返って自分は、身の回りのことで誤魔化している。
2ちゃんで、橋本治のオチは身の回りであることが批判されていた(大意?)が、身の回りで論理を組み立てることこそが、大上段に構えない身の丈に合った自分の言葉だ。(私的橋本で得たこと)
自分の身の回りの言葉で周りとつながる。
自分は題材と自分とのつながりをとらえなおして、新しい一面が照射できるようになったとゆーのが書きたいのであるが、道のりは厳しい。
風呂に入るまでのタイムリミットに気を取られてと言い訳をして、なかなか気に入るものが書けない(ため息)
書いたものを一日おいて、改めて見直すと、少しは捻れるので、更新を週一にしたろーか?
今はそれさえも余裕がないし、無理なのであるが。
「神様」はハッピーエンドだろうが、バッドエンドだろうが新しく得たものがあればよかったのだが、表現のコアの話は(表面を撫でるがごとしにしろ)知っていたことだし、私はコウちゃん的橋本を捨てることができず住人たちのレベルとそう違わなく、住民たちの変化が著しいものでなかったので想定のうちだった。
自分の表現が人受けしてうれしいか?的疑問がなくなることはなかったし。
自己満足と自己表現で悩むやつが住人に一人でもいれば面白かったとは思うんだけど、正面切って悩む奴はいなかったし。