お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ
年を取ったら、どんなジーさんになりたいか。
すぐ動揺する私は山本七平の静けさにあこがれるが、あーゆーとんでもない経験をしなければなれないのであれば、まっぴらごめんだ。
実は、finalventさんのぼやき(?)を言いつつ、どんな目にあおうとも(?)境遇を受け止める境地に達することができたらな、と思っているのである。
さて、邸永漢。
finalventさんがおすすめの本を2冊ほどあげていた気がするし、ポジション的に古き良きジジイって感じで以前から著作を読んでみたいと思っていた。
古き良きジジイ、達観して欲のないジジイのことである。私の理想が入っている。
が、邸さんは私利私欲のないサムライのような生き方は台湾人だからなかった、と婉曲的に言う。
排除されたから、裏階段を上る人生だったと、話が流れて、はっきりとは断言されないが、ここはもうちょっと糸井さんに突っこんでもらいたかった。
だって、今、老賢人っぽいやん。
今ぎらぎらしていないのに、欲の処理体系どうなったの。
後ろのほうで、人間の移り変わりはサイコロを転がしているようだ、最終的に6に落ち着くとしても、途中は3の目だったりすると言っているし、欲に負けたことがあったのかしら。
お金に対しては若いころから(貧乏でも)満ち足りていたといっているし、若いころの無茶話も、裏階段を上っているのだが、気品があって、無茶の一歩間違えたら感が出ていない。
グレーだけど、ブラック人生ではない。
お金に対する欲と大きな仕事をする欲は別、なぜなら仕事にはお金がかかるから的に、欲とのつきあいというキーワードでこの本を見た場合、正面切っては答えがない。
いや、糸井さんが
今までは、やりたいことに向ける動機がなくても生きてこられた人生だったけれども、それが多くの人にとって、そろそろ違ってきているのだろうと思います、
邸さんのお話を聞いていると、「今は、何かをしたいと思っていない人は、何をすることも無理なんだ」とおっしゃっているような気さえします。
と、欲と言わないけれど、なにか動機をもっていたほうがいいとまとめられている(気がする)し、
答え云々じゃなくて、文章の隙間から死ぬような目にあったことが何度もある人の人生訓を受け取る本かな。
事業は動いていないと必ず潰れてしまうから、人を信用しない、心を開かない金持ちなんて現実にはありえない、なんて話も面白かった。
お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ (PHP文庫)
- 作者: 糸井重里,邱永漢
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2011/04/09
- メディア: 文庫
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