陋巷に在り 2

五六が子供の頃から顔ボクにいかに叩きのめされて、守り役の矜持を注入されてきたか。

五六は十にも満たない時にあまりのボクの仕打ちに生き死にまで考えたことがあった。

その横には玉のように大事に育てられる顔回がいる。

五六の顔回への複雑な感情はそういうときに強く意識に焼き付けられたものである。

(なぜ、おなじこどもなのにおれだけが)と泣きながら思った。(略)

五六はボクにとって優秀な弟子であった。技術に関しては満足できるレベルに達した。

だが、五六が一般の顔氏に対して抱いている感情までは手をつけることはできない。

かつてボクが若かったころも五六と同じく、同じ一族に対してどうにも割り切れぬ劣等感と被差別感と憎しみを抱いていたからだった。

今のボクにとっては、そのことは取るに足らぬ小事となりきれた。

しかし、五六がボクのようにプライドと使命感だけにおのれを純化することができるようになれるかどうかまではボクの手が及ぶところではないのだ。

(ボクは漢字だけど変換できなかった)

ライバルが出てきたからでしょうか、面白くなってきた。

孔子の弟子、顔回が礼という不思議パワーで敵とやり合う話になってきた。

孔子の時代は踊りや歌を神にささげるのも為政者の大事な役割だったと大法螺を吹いている話である。

トウテツをなだめるところの緊張感、あの論理構成は並みの人には思いつかない。

神とはどういうものであるのか、導入として分かりやすかった。

また、顔回唐変木な変わり者で大物ぶりを愛でる話である。

今のところ、孔子先生はあまり活躍なし。

でも、一番面白かったのは、引用した部分である。

なんか自分はどうにもならないものがあって、そこでのたうつ姿を見るのが好きなのである。

作者のこの眼差しが、作品の深みとなっている。

今自分が仕事でそうなりつつあるんだが、そっちはもう勘弁してくれよ。

一皮むけるんだろうか、で、自分が当事者だと全く笑えないんだけどね。

割り切れて、うまく回せられるようになるのか、とりあえず週末で英気を養っとこ、、、

陋巷に在り〈2〉呪の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈2〉呪の巻 (新潮文庫)