ちょっとむつかしい
極東ブログを読んで考え込む。
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自分の辞書に「英霊」はないな。
NARUTOを見て、「エロ仙人が信じたことを信じてみる」的なことかな、とも思った。
これなら「法然が極楽にいけるといったので自分はそれを信じる」な親鸞とつながるかと極東ブログを読み返して、「死者は極楽にいる。現世に残す声はない」の言葉につまる。
生きていることは、生き残ることであり、生き残るということは死の遭遇を溜め込むことである。死ねば無となる。しかし、死者への思いは無にはなっていかない。死霊の声を聞くのは自然なことではないか。
比喩ではなくマジで死者のことだろうか。
自分は死者の声を聞くのだろうか。
生きていても先はたかが知れているし、誰かのために人知れず死にたいと思う回路はある。
これはと思った人にヘラヘラついていきそうな、新興宗教にはまりそうな予感もする。
その誰かの為にの回路に死者を持ってくると・・・完璧に自己陶酔に浸れるな。
何しろ死者は美化し放題だし、自分のことを捨てる言い訳にふさわしい。
↑思考停止状態
顔の見えない死者のために死ねないが、思い入れのある人が対象だったら最後まで付き合ってやってもいいかと思う。
死者よりも次の世代(現世)のことを重要視させる理屈はありますかね。
次の世代というか金を集めるより大事な食卓な話を得られる可能性(BYモンスターだと思うが紹介ブログにたどり着けない)を目の前にひらひらさせる方法とゆーか。
そんなこんなはfinalventさんのいう死霊と使い方が違うような気もするのであった。