パラケルススの娘10

・元に戻らないのか。ちょっと新鮮。

・201Pのジンジャーの挿絵は、おねーさんになっていて、題名をつけるとしたら「青春」なのに彼女の選択は…

さて、最後に主人公爆裂パウワーで締めた遼太郎君であった。今までの影の薄さを払しょくした。

神による平和を退けた彼ですが、それで良かったのか。

気にするといえば、この神が無私の人ではないところだけと思う私は日本教徒。

それを無視すると、独裁政治なわけですが、それはありか。

う〜ん、流し読みのせいか、ちょっと五代ゆうは絶対平和を崩す理屈の歴史を踏まえていないような気がする。

神が善意の人であった場合遼太郎の理屈では苦しい。プラスアルファが必要だ。

愚行権を行使した結果、これからよろしくなるという根拠が良く分からない。

その無根拠で神を全否定されたらちょっと引く。

愚行権それ自体に価値を見出すというのは無しか。

ナウシカはどうだったけ。最後に読んだのは6年以上前になるが。

とゆ―か、私は宮台真司が「システムの設計者は知られていないほうが良い。隣りの人がシステムの設計者という現実に人は耐えられない(意訳)」という問題を考えている。

私は別にいいけどと思う階級社会肯定派。

社会の底が抜けかけていると感じて、自分がどんなシステムに乗っかているのか分からないは不安だけど。

そういうことを踏まえて、上の人がどんな人なら許されるか、思考実験(小説)を読みたい。

できれば外国の小説で日本人の前提がおかしいことを意識させられるといいんだけど。

(話は全然変わるが、ノンフィクションは読むがフィクションは読まない同期がいて、自分の意見だけでどこまで出世できるか見てやろーじゃん)

人格者でないといけないとは言わないが、それならば、優秀さはどこで担保されるのだろう。

山本七平の日本の歴史をこの問題と絡めて読み説いてみたいのだが、上巻が持ちまわるうちにどこか行ってしまった。

パラケルススの娘 10  (MF文庫J)

パラケルススの娘 10  (MF文庫J)