年相応に関係を持つ

民生委員は2年前まで知らなかった。

ぼけかけの祖母が朝いなかったらしいとき、民生委員の家にご厄介になっていてはじめて存在を知った。

それ以降は接点はないし、何をしている人かも知らない。

社宅の隣に住んでいる人は40がらみの中年の人だが、どこの課の人かぜんぜん知らない。

町内会に参加したことは全くない。

実家も私が中学生のときにたてた家で、私は私立に行っていたものだから近所の友達はいないし、隣2件の人しか知らない。

地域社会とは分断された所にいて、私の辞書に市民の文字はない。

私は他人に対して、何もしないことに忸怩たるものを思っているが、身の丈にあった関係が分からないのである。

で、昨日の富野監督の話を読んで思ったのだが(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20100804/p1)、こういう自分には何ができるのか、何ができないのか、もしくはここまでなら時間や費用を投資できるみたいな目算は小さい頃からの思考錯誤でしか身につかないものではないだろうか。

宮台先生なら、もう手遅れというかな。

手遅れで済ませられることでもないから、これから痛い目にあって覚えなければいけないのだろう。

とりあえずボーナス5万をDVシェルターの団体に寄付したいのだけれど。

化物語の感想で(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20090930/1254316283)普通の人の建前が主人公の本音になっていることを擁護した。

もちろん主人公の無理は分かるのだが、血を流す覚悟があるからいーじゃん。

マスコミの言うような正義は、だれも否定できないから大声で通りやすい。

だけど、何も変わらないし、実行されたとして、実態とは遊離して無理が出て、危険な押し付けになる?

そういうのとは別に、自分の身の丈の行動を少しもてるようになると、少し社会が変わる、のか?

finalventの日記(http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100802/1280700810

橋本治は指摘することが社会との関わり方であり、さて、私は実践する人でありたいのだが、白紙。むぅ。