見栄を張る

『僕は幸せだよ。小夜姫も、きっと同じだと思う。だって簡単なことだもの』

薄い闇の中で、耀のまなざしが揺れていた。

『辛いこともあるけれど、有王がいてくれる。

僕が大事に思っている人がいて、僕を大事に思ってくれる人もいる。

それで充分だよ。本当にとても簡単なことなんだ』

カナリア・ファイル 罔象女

と、ゆ〜わけで、カナリア・ファイルを斜め読みしています。ちょっと幸せです。

基本的に私は本さえ読んでいれば幸せです。ずっと読んでいれば飽きるのかどうか自分でも気になるところです。

「そして、楽園はあまりに永く」では人間望んでも誰もが得られることではないことを実現して、それが、無価値になる瞬間を書いていました。

ないものねだりが一番大事なのか。いくらお金をためても飽きない人って例は、やっぱり都市伝説と済ますにはリアリティがあって、なぜか充足感が得らず満足できないこともありそうな線も捨てがたい。

なにがって孤独のことですよ。私は孤独を感じたことはない。全く普通の一般市民のつもりで、自分がはじかれるなんてことは夢にも思っていない。

小学生の頃いじめられた気もするが、社会人たるもの礼を尽くしていればはぶられる心配はしていない。

ツイッターで四六時中話をしていようとは思っていないが、幸いなことに私は人付き合いが好きで苦にならない。

その一方で、別に理解してもらおうとは1mgも思っていない。真理の探究には関心があるが、話があう人も別にいらない。本を読み感想を書いていたらそれで幸せです。

飢えがないのはもって生まれた天分、鈍感さというだけの話かもしれないが、飢(かつ)える人の気持ちが全く分からない。

ちなみに物があるのに不幸せな人の気持ちもぜんぜん分からない。

分からないからずけずけ言えてしまう、想像力のなさは問題かな〜

で、上記のカナリア・ファイルの件ですが、私はスーパーで物を買ってレシートをもらうときに「ありがとうございました」と気持ちの良い声で言えるだけで幸せになれます。

人の世の片隅にあったかもしれない交流を想像するだけでお腹いっぱい。

無償の愛をくれる親が健在であるからこそ言える言葉かもしれませんけど。

ここで橋本治を思い出し、「子どもの頃の美しい記憶があれば、大人にどんな目にあっても平気」(とは言っていない気もするが)、平気だと見栄を張る余裕を持ち続けることができたらいいなと思います。

ちょっと隙があるほうが好感が持てますが、渋みを持った大人になりたいです。と言いつつもう30・・・我慢は覚えるお年頃。