ほんとうの私を求めて

遠藤周作が「ほんとうの私を求めて」という題で本を書く。どう料理するか楽しみだったのだが、1985年に書かれた本だった。

母として、妻として、だけではなく女として生きる息抜きの時間を持つ必要性を訴える。

2009年では、母として思いつめて生きる人なんて主流ではないような気がするので、このような主張にいまさら心を動かされる人なんていないだろう。

でも、一概に役目を終えたとは言えないところは遠藤周作

なぜなら我々が社会の行動生活に順応すればするほど、自分の個性を失うからです。

自分の特色、自分の個性といったものは多くの場合、押さえつけた感情や欲望の中にあるのです。

社会や世間に順応して満足している男の顔を想像して下さい。

それは無難で安全な生き方かもしれませんが、個性ある精気に満ちた何かにかけています。

一方、世間体や世間の常識を無視して自分の感情のままに生きる人は他人を傷つけ、社会的非難をうけますが、やはり、その人だと思わざるを得ません。

サラリーマンを生き方が生気に欠けると、ハードボイルド的に無理無茶な視点から断罪するのではなく、ちょびっと自分の感情のままに生きて見ようかと逃げ道を準備してさり気にお勧めする手腕はお見事です。

いや、一番面白かったのは女に対する殺し文句で、

私の考えでは女性を口説く殺し文句で一番に効果あるのは、彼女に人生を感じさせるような台詞です。

私は生活と人生は異なると考えています。生活とは言うまでもなく、毎日、皆さんが送っている日常の、同じことのくりかえしの、色あせた毎日のことです。

我々は生きて、食べていかねばなりませんし、現実は決して夢のようなものではありませんから、我々はやはり、この単調な―時には息苦しい毎日を背負っていかねばなりません。

どんな人にとっても多かれ少なかれ灰色で、閉鎖的なこの生活の中に、フッと穴をあけてくれるような言葉、しかもその穴が、この生活をまったく更新するかのような言葉、生活とは違った人生を連想させるような言葉―それが女にとって一番、魅力的な殺し文句なのです。

言い換えれば、女の引っかかりやすい殺し文句なのです。

「部下のみんなが僕を捨てても、君一人がついてきてくれそうな気がする」(省略)

一.君だけがぼくのただ一人の理解者だ、と暗示している。(女性の自尊心をくすぐる)

二.自分にもいつか孤独な日が来ることを暗示している(女性の母性愛をくすぐる)

三.君一人がついてくるという表現で、自分たち二人だけがしっかり結び合う同伴者だと暗示している(人生を感じさせる)

OK、非日常を感じさせればいいのか。

自分は陳腐なのしか考えつきそうにないが、自分がここではないどこかにあこがれる気持ちがあるだけに、自分が引っかかりそうなナンパ文句をぱやぱや黙考してみたい。

ほんとうの私を求めて 遠藤周作 集英社文庫 1990