厨二病タイム

十二国記 落照の獄の印象操作の方法、そのバランスが絶妙だ。と少し感心した。

だいたい物事には立場によって正義が違う。物事が変わって、変ってよくなったのか、変らないままが良かったのか、物語によって主人公が立つ立場が、正義のあるほうが違う。

いや、場合によって違うのは当然だって言いたいのは分かるけど、その場合、おおもとでよい悪いを判断する原則は存在するのか、その場のノリなのか。

当事者でなければ、何によって肩入れをするのを決めるのか。人の言うこと、人の現在状況を判断してということになる。

人の立場が自分と異なっていて判断が難しいほど、人の言っている内容は理解できない。その人の置かれている状況がなぜそうなったのかは、分からない。

結局理屈じゃなくて、理屈を言っている人を信頼するかどうかって問題に落ち着くと思う。(←強引)

理屈の正誤が分からないとき、ある人のあることに対しての考えに欠点があれば、当人視点で語られる別のことでも誤魔化されているが、その程度の欠点があると判断して、説得力を目減りしてとらえる。

落照の獄の主人公の性格の瑕疵を見ると、とても偉い人になれるぐらい論理的な頭を持っている。

論理的というのは普通は男の長所、感情は女の欠点と捉えられるので、官僚代表する理知的な旦那vs庶民代表の感情的な妻である。

普通、説得力つーか感情移入できるのは旦那である。しかし、そこで、たぶん日本人の一般的了解事項である死刑賛成を妻にしゃべらせ、説得力は妻の勝ち。

でも、インテリ(笑)としては理屈としては理屈が難しいなりに、気持ちは少数派である旦那側につくのも良し。

ところが、旦那ってば前の妻と論理的でありすぎるために結末が良くないのである。前の妻がああなった責任の一端が旦那にあると加味し、説得力を差し引くと、旦那の側には立ちにくい。

性格的には、旦那勝ち、妻負けで、理屈的には旦那負け、妻勝ちで物語的にどちらの側に立つのも拒否し、あくまで自分の頭での判断が求められる。

そして、最後旦那の判断に流され旦那が正しいと思うことなく、冷静に自分の意見との比較ができるのだ。

このびみょ〜な按配が、細心の注意を持って組み立てられている。時間をかけて作られただけはあると思う。

ところで、どんな強引な意見でも性格パスで成立することがあると思う私は、通りにくい意見を人生でひとつ、通すために性格のよさポイントを蓄積しているつもりなのである。単なる八方美人と化してますが。