私は誰になっていくの?アルツハイマー病者からみた世界

アルツハイマーになったら、新しいことを覚えられないのは勿論、物事に集中しにくくらしいです。

思ったことが、言葉にできなくなるらしいです。

というか無理に言葉にすると、ソース鍋が沸騰しているのを見て「バナナのようになっていくわ!」と頓珍漢になってしまう。

内側に心がちゃんと残っていても、残っているからこそ、外に対する表現ができないので、心無い人が介護者だと尊厳があっという間に磨り減ってしまう過酷な病らしいです。

でもちょっと気になったのは、アルツハイマーは精神病でないと強調している所。

巻末の情報で精神病を「一般的に精神病では、生前になされるスキャン検査によっても、死後の剖検によっても、脳内に目で見えるような損傷は認められない。もちろん化学的なアンバランスによってある種の精神病に導くのかもしれないが、これらは適当な薬で補うことができる。」と定義しているが、日本で70万人の患者がいる精神病はなんか若い頃に発病すると脳が収縮しているらしいですよ。

脳内のドーパミンが過剰に分泌される説が最有力で、発病者の4分の1は薬が効かないらしいので(4分の3はなんとかなる)、単に作者の定義に無理があるだけかもしれないが、ちょっとひっかかり。

アルツハイマーは精神病でないといわれ、てんかんは精神病でないと新聞記事にかかれ、自閉症は精神病でないとポスターに書かれ、皆に嫌がられる精神病でした。

単に偏見として想定される精神病のひどさと自分の病気との違いを訂正したいだけで、悪意はない。

自分のこと視点になっているだけなんですよね。

しかし、区別される病気の偏見を前提とし、結果として偏見を助長する。

精神病も他の病気と同じくなったのは不条理でしかないのに、不条理で発病するのはどの病気も同じはずなのに、自分の不条理から(偏見を持たれる)他人の不条理に思いをはせるのはなんて難しいことか、なんて思ったり。

ちなみに作者はクリスチャンになって信心の大事さを強調しています。

しかし、私には自分に起こることを全部神様がいいようにしてくださった結果と思いこむことができると、確かに気は楽になるかもしれないが、そう思い込むことで楽になる環境の苛酷さが傍から見てつらい。

自分もいつか通るかもしれない道なのでなおさら。

私は誰になっていくの?アルツハイマー病者からみた世界
クリスティーン・ブライデン クリエイツ鴨川 2003