たんぽぽのお酒

レイ・ブラッドベリは「華氏四五一度」あんまり面白くなかったが再挑戦。…あえなく挫折。

クララ白書」のときもそうだが、私はあんまり過去を美化する話は好きではないようだ。

現在は失われてしまった、極端に言うと汚れてしまったとか思わない私はまだ青春中かな。(よくても出世はあまりできないだろうと先は見えていますが)

もうちょっと追い詰められたほうが人間的に深みが出るんだろうか。

それとも経験することで疲れた中年になっちゃうんだろうか。

橋本治の「ピーマン白書」の設定集で、苦労してみたい女の子を甘ちゃんと一刀両断(うろ覚え)だったのが忘れられない。

X(詳細忘れた)はその子の無意識と、物語のキーになる性格設定で、大人からみると子どもはどう写るのか、どんな出来事が起きるとどう変わって行くのか続きが知りたい。

そういう点ではこの主人公の先がかかれないのは意味深かな。

オトコノコ問題というか上がりはサラリーマン。みずみずしい感性をその後も持ち続けることができるのか、できないでしょ。

いつ挫折を知るのか、その挫折の一番いい形の克服とはどんなもんか。

汚れと折り合いをきれいにつけられるのは可能か。

汚れを知らないまま大きくなると、周囲とどんな軋轢がおきるのか。起きなきゃ嘘だ←今の自分は将来顕在化するどんな問題を抱えているのか。

主人公は将来は発明家おじさんとはならないと思うんだけど、芸術家なら笑う、そういえば発明家おじさんの子ども時代ってどんなもんなんだろう。

変わり者が許されたのは石油ショックまでで(適当)、おじさんの子ども時代、1920年代の子どもはどんな感じなんだろう。

共同体バリバリ?小学校行くのが義務教育になったのっていつ?当時識字率はどのくらいなのだろう。赤毛のアンは学校に行く行かないでもめてたな。とちょっと広がりのある本でした。

たんぽぽのお酒 レイ・ブラッドベリ 晶文社 1997