インターセックス

自分の存在が認知されないのと、自分の属性が世間から偏見の目で見られるのとどっちがましか。

作中には書かれていないが、色々考えた。広がりのある本は読む甲斐がある。

ちなみにインターセックスとは「古くは半陰陽、両性具有と称されたが、外性器の形状や生殖器、染色体が曖昧で男女の一方に分類できない人々。広義に見ると100人に1人の出生頻度で出現する」(帯より)そうです。

インターセックスは幼い頃から(本人の意思なく)何度も手術をして男女どちらかに選ぶ。それが体の傷と心の傷として残るという問題がある。

早急な手術はやめ、男や女といった二つの性別ではなく、人間という範疇で見られるようにならないか作中で強調されていた。

私は好きになったら、好きな人というカテゴリーをつくるし、あるいは友達、同僚というカテゴリーはあるが、あんまり男女というカテゴリーはない。

この本ではインターセックスをカミングアウトして婚約を解消された例を書いていましたが、私はそんなことしないし、自分もインターセックスの子供が生まれても困らないだろうな。

というのも、私の兄貴は私が通院していることを知っているが病名は知らないぐらい差別を受ける側だから言えることか。(病気のせいで見合いできないゾ。)

父母は病気で私を特別視せず、それこそ人間というカテゴリーで扱ってくれるので他人にも差別意識を持ちにくい。

インターセックスを差別しない正義は明らかで、そんな善悪がはっきりした本書いて作者は何が楽しかろうとも思ったが、身近にいると嫌なものとみられたのだろう。

そんな性差で差別するのは中学生までで、大人になってもそんなことするやつは友達にならないがましだと思うのだが、それが世間の大多数と思っていたらさぞや息苦しい人生。

みんなと友達になる必要はなく、カミングアウトしても害はなさそうにも思うが、付き合いの大多数を占める軽い付き合いでは、私を見るのではなく、過去から演算される脳内のカテゴリーで付き合い方が決まる。

そこでわざわざカミングアウトとして不利になることをするやつは尊敬するが、バ・・・(←つらいが、偏見を打ち払う役目をわざわざ買って出るのも買って出る時点で特殊な人間になる)

何がともあれ、カミングアウトするときに渡せる資料があるのは心強い。美化の程度で渡すのを躊躇する必要もないし。

推理小説が始まるのは中盤以降でインターセックスのお勉強本である。3ヶ月で4刷。

インターセックス 帚木蓬生 集英社 2008