逡巡
私は大学2年になるまで「評論」という言葉の意味を知らなかった。
センター試験の「評論」は、ノンフィクションの意味にとっていた。
事実と事実を自分なりにつなげて論理を作り、その自分の意見を基準にして、世界のあり方と比較することに憧れがある。
「非属の才能」(山田玲司)で、山田はおばあちゃんが「漫画家になれると思うよ」といってくれたことが自信の根拠になった、と書いている。
私も母に「それぐらい本を読んでいたらそのうち本を書けるようになるかもね」と言われたことが支えになっている。
別にいまどき本を書くということは珍しいことでもなんでもない。
けれど、いつか自分の意見が持てればいいのにな、と思う。
ただ「いつか」の話で、今はインプットの時期。何もいうことがないのに、アウトプット、ブログの比重が大きくなりすぎなような気がする。
本音は「耽美なわしら」を読み、東京へ行きたくなり、スキルアップの時間をどう確保するかとゆ〜
ブログは長く続ければ信頼度が増すといわれることを真に受けて始めた。
自分が神を必要とする不幸な事態が考えられないと書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20090224/t)、ブログをするのなら自分の想像もできない苛酷なことが起きる覚悟はした。
しかし、我ながら特に可もなく不可もなく、なことを書いていると反応がまったくない。
はじめて50日なので当然かもしれないが、これなら「少し」時間を割く習慣をつけるのもいいかな。