なるべく皆がハッピーな生き方をしたい

自己肯定も自己弁護も、必要だったら何やったって結構だけど、でも一番最初の「自分以外に外側もある」ってことを呑みこまなかったら、何やったって、何言ったって無駄だってことを、理解しておくべきだと思う。                        ‘89 (橋本治

'89は20年前の本ですが、KYなんてことが言われた昨今、自分の外側を意識しない人はいるのでしょうか。

KYという言葉が嫌いだという発言は見ましたが、KYだと喜んで自己申請した人は余り見なかったように思います。

私は自分も楽しくやりたいですが、皆も楽しくなってもらいたいです。

そんな自分の八方美人な生き方を変えたいと思っているのか?微妙なところです。

私は人より抜きんでたところを持っていないので、数の力で自分の利益を確保しないといけないから敵は作りたくない。

時に、ある時点の常識、状況が未来の時点では正しいとは限らないとは分かっていても、現在の状況に準じたい自分に苛立ちを感じます。

私、百年前のアメリカの白人に生まれていれば、絶対に人種差別していました。

兄の理論だけが、今この世界で起きているあらゆる事象を、矛盾なく説明できるのだ。(中略)

だから私は、あなたに信じろと強制するつもりはない。(中略)

ただ、私は多くの証拠や体験を元に、自分が真実だと確信したことを書き記すだ     神は沈黙せず(山本弘)

この主人公、後の方で兄の理論の欠陥の指摘を認める旨を書いているが、それでも自分の信じる説を唱えるわけですよ。

私は自分の意見と違う人といかに仲良くするかにアイデンティティを抱えて、自説の強固な主張はできません。

しかし、いつか世間の非常識から、未来の常識になってもらいたいものを拾い上げたいという野望はあります。

その非常識なことをするときにこちらのダメージをいかに少なくし、また影響力を持つか。

非常識な主張をするために、日ごろは世間にあわせ、信頼度を高めておきたいと思います。

と自己肯定で終わる、易きに流れる八方美人の限界が今時かと。

そのかわり黙って、寡黙なまんま、現実の中でちょっとずつ押し流されていく。

押し流されても、「踏ん張っていられる自分は、まだあるな」とか思ってね。             ‘89