‘89

ただ大人になると、「自分だってはっきりしない、外側だってそうそうはっきりしてるものじゃない」なんてことが分かるから、そうそう簡単に「一般的見解」なんてものに従わない。そのかわり黙って、寡黙なまんま、現実の中で押し流されてく。押し流されても、「踏ん張っていられる自分は、まだあるな」とか思ってね。

というわけで、押し流されている人、その他大勢のうちのその一です。

寡黙かどうかは不明ですが、わざわざ口に出すのもはばかられ、流される現状はこんなもんでしょ、みたいなちょっと後ろ暗い開き直りがあります。

「俺も俺なりに頑張らなかったら恥ずかしい」って言うのが、幻の一般的見解死後の、正しい仲間意識のあり方でしょ。(省略)

自分が正しいと思うことをやっていて、それで苦戦している人間を見たら助けてやればいいのに、知らん顔だもん。「友達甲斐」ってないよね。

「友達があるから、自分もある」ってことだってあるんだから。一般的見解って、それを忘れたから「幻」になったんだぞ。

「友達甲斐」って言葉、死語にしちゃ生んだもの。やっぱり「日本の男ってだらしがない」っていわれたって仕方がないと思うよ。

自分が薄情であることを自覚している私に、この言葉は効きます。

書かれてないけど、言われることを実行したときどんなに人生が楽しくなるか、想像されます。

もっと人間関係に振り回されたい。

他人に振り分ける時間をもうちょい増やすところから始めましょう。

ところで、親友と思ってた友達が年末に身内だけで結婚式するって言ってて、せめて式の写真くれって言ったのに、梨のつぶて。

自分は、この生き方でいいんだろうか、と最近ちょっと暗い。友情の表し方はこんなものじゃない、と言えるのか。

‘89 橋本治 河出文庫 1993