‘89

男は「女という他者」にめぐり合う以前に、「自分とは違う男という他者」に巡り会ってなんかいない。(省略)
仲間社会の最大基準は「同質」ということであって、だからこそ仲間社会の最大のタブーは「異質」なのだ。だから、仲間社会の最高の愛情とは、「その異質を見逃す」ということなのだ。(省略)
男に「無関係な他人」は存在しても、「異質な他者」なんてものは存在していないんです。
だから、他人の不幸が分からない。結論はいつも「一人一人が気をつけていればいいと思います」だけだ。(省略)
だから、男には二種類しかいない。「自分はルールを守っている、でもひょっとすると守らないこともあるかもしれないから、気をつけなくちゃいけないな」と思う人間と、「自分は自分のルールを守っている。他人のルールは知らない」と思っている人間の二種類だけだ。
「他人のルール」を守っている人間はそのノルマをこなすのに汲々として、自分とは異質の“他人”を見ないし、「自分のルール」を守るだけの人間は「他人のルール」なんかバカにして、見ない。「他人」はどこにも存在しない。

これは、20年前の文章です。古くなったのか、今でも生きているか。

それぞれ自分の都合のいい所属に何箇所も並行して関係する、離脱自由だといわれると、他人と自分のルールの妥協点を見出す(他人を尊重する)努力をしていないので、今でも通じるかな、と思いますが。

「他人の不幸が分からない」といわれると、ドキッとします。

‘89 橋本治 河出文庫 1993