起きていることはすべて正しい

ヤーンはいったいどんな罪状ゆえに彼がこれほどの罰に値すると思ったのだろう」
リンダは頭をふり、挑戦的に云った。
「私にはそんな罪状は思いつくことは出来ないわ」

                  グイン・サーガ1

この場面の場合、病気になったことに意味はあるかといわれたら(正確にはそれだけを含む描写ではないのだが)、明らかにない。起こることに善悪はないよな、と思っていたときに目に入った本の題名が「起きていることはすべて正しい」

さて、この世に起こることはすべて正しいのか、証明を楽しみに題名買いしました。結果から言うと、心構えを説いていただけだったのだが、考えることの補助線にはなりました。

私は「神とは納得装置である」(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20081214/t)とは書きましたが、最終兵器を発動させたことはまだありません。毎月医療費が8000円かかる遺伝病持ちで、10年の生存率が90%ですが、自分のことであるならば、不幸にも結構耐えられるのではないかと思います。

もちろん、現実から目をそらしているだけ、本当の不幸を知らないだけといわれればそれまでで、自分が神を必要とする事態を想像できない幸運を噛みしみています。

勝間さんの「現状手に入ることを、起きていることを使い尽くしてみよう」と「起きていることはすべて正しい」ということの間には飛躍があり、その飛躍は現実を受け入れるのに痛みを伴う本当の不運を知らないからではないからだと推測されます。不遇時代が目をそらすようなことではないので。

自分の人生がこれまで神を必要としなかったから、これからも必要としないと、私も勝間さんの年になれば思えるようになるんでしょうか。神を必要とする人生を送る人がいるかもしれないという想像力が刈り込まれる、そのときが来るのが楽しみなような怖いような。

しかし、勝間さんのChabo!に対する行動を見ていると、自らが神を必要とすることと、神を必要とする人がいると認めることは別物のような気もしました。飛躍しすぎですか、そうですか。

ところで話は飛んで本編とは直接関係なくなりますが、人の不運にたいして、自分のことと同じくなるべく客観的にそのままおきていることをゆがませずに捉える技術を発動させるのはいい友達でしょうか?

実際とる選択肢はないんでしょうが、冷静な友達ばかりを持つのは、君主の交わりは水のごとし?

ちょっとスゴ本の人の「おひとりさまの老後」感想(http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2009/02/post-cf9d.html)を思い出しました。

起きていることはすべて正しい 勝間和代 ダイヤモンド社 2008