神とは納得装置である

神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ。  
             ラインホールト・ニーバー

抱える案件がペンギンが空を飛ぶようなものと判断できるのかどうか、分かるわけない。

何が変えることが出来ることで、何が変えることが出来ないことか、神ならぬ人間にわかるわけない。

ここはアクセルを踏むべきか。それとも撤退か。この言葉は結局どう生きたいか、つきつけられる。

今自分がこの言葉のどの位置にいるのか分かると、何に全力をつくせばよいのか目標が定まるので、この言葉が好きだ。

ところで、認めたくないことを認めたとき生じる感情がある。これを「ない」とすると、「ある」ものが「ない」となるので、少しおかしなこととなる。

でも、ペンギンは空を飛べない。この認めたくないものを認めたとき生じた感情が「ない」として行動しなけれがならないときがある。

この割り切れなさが人生だと思っていて、これとどう付き合うか。

私にとって神様は、納得できないものを納得させるために存在する最終兵器、納得装置である。

「神は沈黙せず」の前フリでした。