矛盾がある

橋本治が矛盾があるというのは、まだ考え中と言うこと、って書いていたような、

どうなんだろ?無意識に場合分けしているが、分けられる場面は意識していなく、その場その場で答えが異なるってことは多そうだ、自分の場合。

と言うわけで、自分語りっす(いつものことです)


僕は、天道是か非かは問題にならなくなった。大学時代は考えていたような気がしたが。

自分が良いことをしてもいいことが返ってくるわけでない。悪いことをしても悪いことが返ってくるわけではない。

もちろん、と言うか、可能性としては、因果応報が多くなる、かもしれないが、それは神の気まぐれで、確実なことでない。

と考えるに、私は周りの環境=つらく厳しいものと考えているようだ。

意図したことは起こらない。

環境が押し付けてくる結果をどうやって自分に都合よく変えていくことができるのか、どう動くか、が問題になる。

環境が押し付けてくる結果を諾々と受け入れる気にはならないと言う点で、舌を出してというか、受け入れずに自分がどうあるのか、が問題になる。

周りが押し付ける環境を拒否する。

これはいい意味では、まわりが自分をいじめて来ても、自分が周りに対してイジメ返さない?というのになるというか、

環境がどうあれ、自分はどういう人でありたいのか、が問題になる。

真ちゃんの言うことろの脱社会的な存在になるのかならないのか?

社会の承認を重視していないって、今のところ社会は私を承認しているので、承認し返すが楽と言うのはあるだろうか?

敢えて、孤高を気取ると、まわりから孤立すると、何かと不便だ(証明いるか?)

信用がないと、やることを突っ込み(否定)から入って見られると、動きが取れなくなる。

所属集団への貢献もしないと(フリーライダーは身を滅ぼす)というか、面倒くさい係を手を挙げて引き受けたりはする。

多少自分の資源を使っても、何か新しいことをするのはワクワクするし。

集団が利益をくれるから、私も貢献する。

集団が利益をくれなくなったら、抜けちまうぜってな感じです。

幸い、構成員が牙をむいてくる所属集団はなかったけど。(って因果応報にこけてるやん、という矛盾なわけで)

孤独になることを恐れない、バオイモドキ神に関心ありまくりだったりはする。

孤独になっても追及したい姿はあるのかなー

これで理想に住むってことだが、何もせずにこうなったりいいのにと妄想するのは、棚ぼた人生を望むことだと思う。

何かに貢献してこそ、生きる人生を選んだと言えるんでないのか。

貢献感って何なのか。尽くすこと。

望みがかなわないかもしれないのに、資源を投入する。

・・・ワクワクするっしょ。

参加するのが楽しいこと?

損するとは何か?バランスが取れていないこと。原因(投入資源)と結果がずれる。

因果の応報に気を取られすぎな気もした。

損をとらなくては、利をとれないこともある。

プラスマイナスの幅を大きくとるか、小さくまとまるかになるのかなー

自分に都合の良いことばかり起きるわけでないけど、「今の自分」の判断で全てを決めて面白いか。

「未来」の自分が面白がりそうなネタ、遊びがないと成長の幅が小さくなるような

まあ個々人の生き様の問題でしょうけど。

って秋津君の頭はポイント制で、ポイントたまったから、××になると思われているけど本当に××になるのか、やってみよう、〇〇になるかも、

って、何をするか分からないところがあり、ええ、本人は楽しい人生です♪