外れ値

自由に生きることと、学ぶことの関係は、学ぶことで、世界がぐっと広がる感じにあると思う。遠くまで広い世界がくっきりと見えてきたような。

差別をなくすのにいろいろな手段があってもいいと思うけど、差別がなぜいけないかということを感覚の深いところで体験できるような、異文化・異民族との共生の体験を教育の場や社会のなかに組み込むことが大切だと思う。

ネットの世界がドミナントになるにつれ、知識がアイタム化してきているように思う。連想記憶というか、フラッシュカードというか。A→Bというassociationのネットワークが知識であるような。しかし、知識というのは、ある身体的な微妙な感覚に根を持つものだし、感覚の変容が重要。

BY finalventさん

差別がなぜいけないのか。

まあ、学校でうるさく言われたしなーと言うか、僕は転勤族だったので、よそ者なわけで、よそ者のつらみが分かるせいか?

と言うか、広義に日本教信者なわけで、みーんな人間、と思っているせいもあるだろう。

イスラエル人とアラブ人と言う区別がつくほど、というか、外国人の知り合いがいないので、××人という色がついていない。

と、伝聞で、オランダ人はケチ、と言うのがあって、それを真に受けるか?

犯罪者は、つらい環境で育った人が多い(らしい)と同情的で、まあ身近にいないからこその温かさと言うのはあるだろうか?

知識に伴う感覚について、おいら、もともと思考がある種の感覚で繋がっているからして、感覚のない知識って、、、化学物理が苦手だったか、ある程度勉強すればラベリングできただろうが、数字的な?定義的な暗記物は苦手か。

フィクションに生きると書いたような、現実に起こっていることも、ある全体の一部で、ある全体が明るいものと信じられたら、私の不遇はただのノイズで明るい世界で生きることができる。

経験のない明るい世界に対して臨場感、ある種の感覚が生じれば、と言うか、賢者は歴史から、愚者は経験からと言う言葉もあるが。

でも、結構、自分、人間不信も入っているとは思うか。損をして構わない程度しか、人にベットしない(賭けない)。

というか、和を乱さないということに対して強迫観念を持つほど、故郷を持たないというか、相手にメリットを提供できているか、提供されれているかは常に考えるし、集団を選択できるものと考えている。

「ある種微妙な感覚」は私の辞書にはないから深まらないなー


唐突だが、男は独身だと早死にするというのが分かる気がする。

女の独身者は生活を大事にできるが、男はメタメタになる(n=7ぐらい?)

生きる意欲が奪われているというか、牛乳石鹸の結婚したつらさとどっちがマシか、で独身が気楽だと本人は言ったりするけど、あなた長生きする気あるの、と言いたくなるというか。

いじめられても、愛を受けていれば、そんなこともあるさと流せるとかいたのはfinalventさんだったかな。

愛の経験と他人に示せる寛容と異文化共生の経験と。

外に出たことがなければ、偏見が大きくなるのか、見事に共生できるのか、外に出て自分が排除される側に回される経験をするのか。

いじめられたとしても、そのいじめた人に生活がある想像を持つってどんな要因なのだろう?

もちろんいじめはまずいが、いじめる人が特殊である、と言う思いは、現実にみんなにいじめられたという経験ですべての人を否定するのか?

生活するには様々な面があり、さまざまな人模様があることを実感するのか?

む、やっぱり経験のないことは想像になり、あやふやな知識で、経験したと言っても全体を知ることにはならないが、「私」の人生を生きるってことは、私なりに判断するってことで、

異常値の幅が大きいことを知るってことは、外れ値の愛された経験を真とするか、例外として生きるか、イジメを真とするか例外とするか、どっちに判断するか、気持ちよく生きやすい方を私は選びたいんすけどね。(結論なし)