キモくて金のないおっさん

http://miurayoshitaka.hatenablog.com/entry/2017/07/28

を読んでキモくて金のないおっさん問題、解決方法を考えるのどうなんだろう?

換言すれば、これを固有の問題として論じてみても、固有の現実的な解決策はどうもなさそうだから、時間の無駄ではないかと思う。

とも三浦さんも書いているけど。

私は、ラインホールド・ニーバーの格言ラブである。

私に変えることのできるものを変えることのできる勇気を、変えることのできないものは受け入れる冷静さを。

自分に解決できることとできないことがある。

キモくて金のない問題はどうか。

自分にできることは、キモい問題か金のない問題か、それとも不条理にしてしまって受け入れることか。

「キモイ」なんて他人視点、自分でコントロールできないのを悩むのも時間の無駄なようなだし、

逆説的だけど、受け入れてしまったらキモくもない。もちろんそれができないから苦しむ。

でも、不条理のない人生なんてない。

受け入れられなくて夕食時に突然泣き出したくなることもあるかもしれないっぽく過去ログに書いたけど、そういう人生のくじを引いたと思うしかない。

犬を飼う、うさぎを飼う、朝の散歩良いっすよ。

みんな余裕があって挨拶し合うなごみ空間である。うちの近所は。

そう言えばジーちゃんおばちゃん見るが、おっさんは、走っているおにーさんが居るような居ないような(挨拶しない)あまり見ない。おっさんじゃないし。

自己承認欲求は小説です、プラトンです。そこに自分を否定する人はいない。

過去の賢人と対話するって、楽しいっすよ。

と言うか、自分が受け入れられることを考えるんでなくて、自分が与えることを考える、いや、自分は褒められた人が嬉しく思う人物か問題はあるけど、それは他人の問題だし。

金を稼ぎたかったら、どうなんでしょう?私はそっちの経験がないのでノータッチで、というか、意欲と稼げそうなところを見る目となら、意欲を手当てするしか、見る目はコントロールできない。

と、ミクロの対応はあって、マクロはどうなんでしょう?

40代独身が日本を滅ぼすって、ネットで叩かれまくっていたけど、2部を見たような、家族の会話で聞いていなかったような、

家族でなくても、大勢の人(同性でも)と暮らすことに補助金をつけたら問題解決の糸口になる、だったっけなー

(そんなに叩かなくても)

とないわけでもないんだろうか。知らんが。


と、恐怖と未知の関係は頭を使いそうで、寝室に居るのが二度寝して時間が少しできたので縮小更新してみました。