リアルの荒波を受け流すとは

父上の病気が一段と進んだらしい。レントゲンで白い影が濃くなったそうで、今まで悪かったと私の兄弟に言って、次の日釣りに行ったら、「釣りは面白いから、やっぱりもう少し生きたい」だそうである。

孫の成長じゃねいのかよ、とは思ったが、それはともかく、その希望に込められた思いを私が実感を持ってわかるにはあと30年以上先のことになるだろう。

考える生き方

考える生き方

難病だとわかったときのあの先のない崖っぷちな気持ち、山形先生は分からなかったようである。

人類全体で見たらよくあることでも、実際自分がなってしまった時の衝撃は、やっぱりなってみないと分からないものなんだろう。

と、病名を聞いて入院中のベットの上で泣いた身としては、自分が実際なってみると人生観が変わってしまう不条理に対する感性は失いたくないなーとは思う。

で、不条理に会うか、逃げ切るかは運でしかなく、今の自分の状況が良いから、運に感謝するってのも浅薄で、

この辺は、プロテスタントな気持ちである。

痛快!憲法学 (痛快!シリーズ)

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じゃあ、人生を恨まない、他人の人生に妬まない在り方、自分がどんな状況になっても、ってどんなものか考えている。

どんな状況になっても希望を持つことができるって、死後の天国を考えればとか、橋本治も輪廻転生があると思えば、この世の苦難も笑い飛ばせるように「宗教なんて怖くない」で言っていたような、

この世の苦難をまともに受けっとったら歪んでしまうものは在る、と思う。

というか、本の中の世界で、虚構の世界で遊ぶのもありだと思う私は、逃げる世界があれば、リアルで余裕が出来て、物事をよい方向に回せる。

というか、実現の遠いことにコミットする、誰かが損をしないといけない引受人になるのは、天国に心が住んでいるからです♪みたいなー

(論理詰めるかどうか迷って飽きたのでそのまま流す)

いくつもの中間集団に所属していたら、その中のいくつかは逃げることができて、没入する自由、逃げる自由、役に立たないことに没入することと、人生において必須なことに没入することが一人の人で一つになるは?

なんとなーく、輪廻転生ものの仕組みをペトロニウスさんと違う方向で掘れないか???