不利益なつながり

うちの社も1000人以上の規模だから、社内で車いすの人は見るけど、外に出たら、年1回も合わない年もざらなど田舎です。


メリットもないのに人を尊重するって、不利益なのに尊重する血族の辛さは、それ以外では考えられない。

条件付き尊重の反対は、存在自体の尊重で、「一つの命は地球より重い」とまで言っちゃったらウソになる。

お金に限りがある以上、年寄りか若い子か、どちらに配分するかの、これからどういう国にしたいのか、の青写真は必要だ。

「幸せになる勇気」の感想で詰めなければいけないけど、さらっと流して、みんなには優しくできない、半径3mが限界っしょ、の根拠は、

資源に限界があるのなら、優先順位をつけなければいけないっつーことだったんである。

役に立たないのに尊重される、日本国民には権利もあるけど義務も科せられるっぽく、どっちも必要なもので、権利だけの主張はフリーライダーで団体自体が弱くなる。

団体には多様性が必要だけど、って結社の理屈、とか一般意思とか、勉強したいなーなんだけど、役に立たないけど尊重する回路はやっぱり、役に立つ意思がないのでなく、立つことができないのなら、瑕疵がないのに尊重されないのなら、

いつ病気になるかわかったもんじゃないリアルとしては、団体への忠誠心も薄くなろうってもんであろう。やばやば。

ただ、税金など金の稼ぎ方は多様であり、体が動けば、良心的兵役拒否なボランティアもありだろうけど、それさえできないような貢献は、性格的に悟っている一択(なのだ今の私の考えでは)では、向いていない人にはつらかろうである。

道がないわけじゃなしというか、に希望はあるにしても。

あ、なんか論理の行き止まりかここは。でも、人を信頼するという選択があることも知らない人も多い中の日本人で言うと、あるだけ頑張ろうというか、

金の不安がないのは団塊の世代逃げ切りで、戦中派とかレールがない中、走ってきたのにどうして今頃また問題になるのかと思って、

豊かになって逃げきれる存在が前提になると、それに乗っかっていない普通でない自分は革命と言いたくなる気持ちも分かる。

我儘が人類を進化させたのだーというか、実際のところはしょうがいしゃを街中で見ることはない排除はいまだ健在なわけで我儘ではなく、権利と言ってもよろしかろうだ。


前回からの記事の続きに無理やり戻すと、不利益なのに付き合う関係は続かないとうか、メリットを提示するのが必要ですね。てなことにしかならないかな。

他人にメリットを提示して場所を確保しつつ、別に自分のやりたいことを追及する場も持つ、私は他人の価値観も自分の価値観も大事派ですよん。

(頭がブログ書きたい状態だったので連続更新っつーか、何の時間を犠牲にしたのやら)