変えられることに対する拒否
- 作者: 須藤凜々花,堀内進之介
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/03/30
- メディア: 単行本
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人に強制的に変えられることに対する拒否、っつーのを頭の片隅に置いている。
ブレストなんで面白く転がせるかは少し自信無しです。
人は変わっていく存在、変わらない存在、どっちの説を私はとるのか。
というか、最近、相方が拾いものだということをありがたく思っている。
私は相方に対し、人に対する愛を持っている人かというのは見た。
最近、隠れ要素として、人に合わせられる素直さや、人は人だと押し付けがましくないことも見ていたのかなーと。
二人で生活するのに、合わせていく努力もせなあかんしな。
人に合わせていくことに対して拒否感があると生きづらいよね。
強制的に、と言われると反発するのか、それは何の権力性によってか。
人とぶつかることに対して拒否感のある僕は、面倒なことにならないのならさっさと折れるか。
それで、変わることはセッティングされているようで、変わることと変わらないことの選択肢は僕は選んでいるようで、判断する「僕」は変わっていない。
僕として、折れない部分は変わらない。自分なりに誇りのある部分を変えろと言われたら、どうするんだべ?
って、僕の辞書によると、損を承知で曲げられないことがあると「生きる意味」ができるんだが。
個性があるということは独自性があるということで、独自性というのは他人との差だ。
自分なりの物差しがあること、と言えば飛びすぎかな。
比較できない至高のものがある、、、私はそれが持てずにもやもやしているんだけど。
ポリシーが多ければ頑固な人で、皆が納得できるポリシーの人なら芯のある人、か。
まあ、至高がある時点で、他人の目なんてクソ喰らえだが。
ただ、そんな小難しいこととは別に、他人に合わせていくことは楽しいことでもある。
自分一人なら自分一人の思考回路から抜け出せない。
人に合わせることは、自分の新たな面を発掘することでもある。
全く興味のなかったクラシックを聴いたら、思っていたよりスッキリして聴きやすかった的、なこともあるかもだし。
退屈だった人生に刺激があるし、悪く言えば自由すぎて少し重苦しかったのに、方向性が与えられる、縛られる良さもたまには味わいたくもなる。
一つポリシーがあったら、それ以外は人に合わせるのも悪くないよなーというのが秋津君の見解か。
日ごろ、合わせてないからだろーと言われたらその通りだ!の週末婚であった。
読めない状況があって、それを読みこなし、自分の思う方向にはどう転がすか、状況に合わせて自分の行動を変えていくのもまた楽し