言語で限られる区別

7時までの15分、書いてみる。

今、ボーと考えているのは、もし、すべての事象を記憶できる人がいたとして、言葉をしゃべることができるんだろうか?

というか、宮台先生が、人間の原罪とは、物を考えるときに区別しないといけないこと、と書いていたような、

言語を使うには抽象的に何かと何かを区別しないといけない。

全てを記憶できたら、何かと何かの差を認識できるのかってことである。

人間が、言語を別にするような差、を見つけることのできる差ってどんなものなんだろう。

ちなみに私はコンサル業界の空の様子という事実、雨が降りそうという推測、傘を持って行った方がいいという対策?があった場合、

雨の様子を同じように言う人がいれば、同じ意見と判断するわけだけど、ってずれたけど。

ちなみに私の場合、なんか[考えごと]をする場合、だらだら書いていくわけだけど、考えがポワポワ浮かんでいるときに、切り立っていない、尻尾のようなものがあったら、そこをこれは何かなーと書き連ねていくと、何か変なものが隠れているときが多い。

初めから変なものが見えているわけではない。

言語で区切られていないというか、概念が地続きになっていなくて、たぐり寄せる。

イデアがパターンからずれるとき、というか言語の区別というか、言語で作られる概念が、パターンからずれるとき、現実から離れた、

って7時になったので、ここまでです。