いま生きる「資本論」感想1

いま生きる「資本論」

いま生きる「資本論」

ガッチャマンクラウズで善意でポイントがたまる地域通貨っぽいものが成り立っていた。

けれど、、、このXのシステムは、善意をクラウド的なシステムによって、最適配分する、最適判断するバックアップが巨大コンピュターとソフトウェア、ネットワークでできるのではないか?と考えているわけです。これは、現代ネット社会の希望の最前線ですが、ようは、衆愚になるのは、適切で使える形に情報の最適配分、判断をするのが、そもそも無理なんで、共和制的な一部のプロフェッショナルな人間にマクロは運営させるのが正しいというのが、人類の大きな流れです。


しかし、ネットワークとソフトウェアの技術的な方法で、何とかなるんじゃねぇ?そういう情報の非対称性は?という希望が、あるんでしょうね。ちなみに、現実には全く無理、という論調が基本で、世界的に国家の機能が強まっている傾向がある気がします。単純に国家主義に戻るのではなく、そもそも帝国化する企業が、世界をグローバルにならしてしまって協会がめちゃくちゃ曖昧になっていることへの強烈な反発として、国家機能の再定義が始まっている気がします。また結局のところ、ファガーソンが論じるように、法の支配にまさるマクロ管理手法が、まだ人類にはないんじゃねぇ?とかいうのが、いまの大きな流れですねー。


物語三昧http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131015/p1

というのをじーと考えて、うーん思いつかないので、資本論から、システムが成り立つのはどういう時か拾ってみる。

ちなみに優君のこの本は8回ぐらい通読しました。

まず商品は、一つは価値である。

○○円とお金に変換される

そういう同質性が価値です。

ピザは食べる、本は読む、ボールペンは書く、こういうわれわれの欲望や必要を満たすことができる、それが商品の使用価値です。

資本家にとって商品の何が重要かと言えば、売って幾らになるかという価値ですよ。

使用価値というのは、使用価値がないと商品が売れないから、くっつけているだけなんです。

商品を買わせるための使用価値ですね。

『使用価値として実現されえる以前に、価値として実現されなければならない。

他方で商品は価値として実現されえる以前に、使用価値として立証されていなければならない』としている。

そしてこのことを証明するのは、商品の交換だけによるのだ。

商品が商品の価値を確証させているのは、いわゆる「商品の命がけの飛躍」が必要とされるということである。

商品は『人間の欲望を満たす有用物』(向坂逸郎編『資本論解説』二ページ)であるが、同時に『その所有者にとっては直接に使用価値として役立てられないこそ、商品として交換に出されている』(桜井毅ら『経済原論』二九ページ)という側面をもつ。

このポランニーが、「人間の経済」には三つの要素があると言っています。

まず一つ目が贈与。お金をたっぷり持っているやつがひたすらばらまく。(略)

二番目は相互扶助。別に金銭を媒介としなくてもいいのです。(略)

3番目が商品経済かな?

と朝の7時も過ぎちゃったんで、私の感想の部分を付け加える時間もないというか、書き抜き後編もあるのだが、

クラウズはさて、相互扶助、なのかなぁ。プロがって視点があったけど