教養 その3
・知を受け継ぐことは集団の一員であることである
と書いて、そういえば教養は、ある集団同士の前提である知識のことであった。
教養が崩壊しているとは言われるところである。
集団としての魅力があれば、知識の伝達は成されるかな。
若者にとって、楽しそうであるか。
あるいは定年退職者にとって楽しそうであるか。
あるいは、儲かるものであるか。
知識欲という言葉がある。
エウレカなのか、おどろきが有って、しかし、全てのことを知るのは不可能である。
誰かに任せるしかない。
誰かに任せたとき、本当の専門家は分かりやすく伝えることができる、と期待するのは悪なのか。
140文字では無理だろうな。
あるいは、素人は専門領域に口を突っ込むのは無しなのか。
「考える生き方」であったか、専門家に対する信頼と有った。
専門家に対する信頼はどうやって醸成するのか。
自分が学校で学んだことが、最高峰に到達する道筋が見えるのか。
しかし、日本の高校までは真理の伝達で、素人が口をはさめる状況ではない。
口を挟むことの繰り返しで、信頼をゆっくり醸成していくというと、理想論だなー
こういう時、私はその状況に対して、何ができるのか(BYケネディ?)という視点がないとなー
学校がボランティアを募集しているとか聞いたのだけれどっと、どーなのでしょう?
真理の伝達の場合、間違っている、正しいは自分の頭でなされることではない。上からの伝聞だ。
疑似科学に興味をもって、しばらく真正科学とどう違うのか、見分け方法はあるのか何冊か本を読んだとき、
結論として最新情報を集め続けるしか、(今の状況の)正しい情報は手に入らないと分かった。
知へコミットし続ける意志はどうやって育まれるのだろう。
コミットし続けることへの動機づけは、その集団の一員であることへの強迫観念と、
知ることが自己実現になるのか。
他人との交流が生まれる知、とかよく分からないです。マウンティングになるしかないのかなー
多様な解釈を許して、張り合うことがない、前提まではみんなの共有
む、30分でポエムが書けた。ポエムなら毎日書けるかな。