主観的な生き方を全うするには相互扶助?
宮台真司と小室直樹の対談で、大勢の人が飢えていても、それが幸せな状態であることもあると言っていたような気がする。
- 作者: 宮台真司
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2001/11
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個人にとっての利益を追い求めたら、結局不利益に辿り着く合成の誤謬という言葉もあるらしい。
それで言うと、本当を追い求めていたら、不幸になるというのはありきたりなのかもしれない。
(でも、罪とは?辞書にない言葉だから分からないてーか、本屋に注文しよっと)
川上さんが、力の限り走る馬鹿な競走馬は生き残るが、人間の言うことを聞かず手を抜く競走馬は肉になると書いていて、
人間でも人生の楽しいことを犠牲にして勉強に邁進する受験強者は頭が悪いけど、人生の楽しいことを優先して勉強しない子は肉にもなれず、
「僕ね、そういう人たちはネットにいると思うんです。プライドばかり高くて、ネットに自分の意見をたれ流してる人たち。」https://cakes.mu/posts/7043
思わず自分を省みて、プライドが高いか検証してみたがそれはともかく、レールというのは受験勝者にこそ準備されるもので、人生の楽しいことを優先した子は一流会社に入りにくい。
と、やっぱり、深夜まで働いて年収800万がうらやましいかというと、おれっち余裕で400万切っているが、だいたい8時までに帰れるので、毎日、本読む時間がないと発狂するのでよかった、である。
(まあ運よく中流階級にもぐり込めれたというだけではある。兄弟はダメだった)
結局、価値観というのは、人それぞれなのである。
一流会社に入れること人だけで偏差値で輪切りにされるので、息苦しいと言ったのは宮台真司だったか(言ってない)、でも希少価値がないと生き残れないのは事実なんだろうか。
誰の代わりにでもなれない味噌っかすの自分は多くて、でも、まったく消費するだけかと言われると、共同体とか中間集団のために費やせる労働力があれば、なんとかビンボー暮らしでもできるのだろうか。
利便性の高い生活を享受するだけ、消費者であるだけでは、と、生産者になれる場の確保かな。
ちなみにどーでもいいけど、兄貴にカトリックの教会の日曜ミサにいってコネクション作って、もにょもにょと思わないでもない。
で、何かを提供しないのは場所がないのも必然のような気もしたが、ネットに時間を喰われるというのも何かコネクションを作るのでなければ、私のように時間の無駄のような気もする。
ってゆうか、迷惑をかけられるけど、こっちもかける、みたく、相互の関係が理想的なのかな。
昨日のクローズアップ現代の迷惑がられる保育園の話を思い出しつつ、助け助けられる場、、、なんか秘密結社を思い出した。
相互扶助の組織に所属すると強くなれる気がしたのであった。味噌っかすでも集まれば強いのだ
そう言う組織も多いとは思うんだけど、入り口のリクルートはどこでやっているのか、どうすれば敷居を下げられるのか。持ち出すだけと言われたら、人も来ないんだろうけど。
最近、民謡のお稽古ごと人募集の新聞広告に、少し心揺れた秋津君でした。
こういうこと、口コミの場所に居られるということはそれなりにつながり強者だよね
[追記]
金以外で、他の人とつながりを持つ?人の困りごとは千差万別だから、どこかに自分が提供できるものはあるんだろうけど、どこで需要を見つけるか