はじめての宗教論左巻

(追記)全体的にちょこちょこ手を入れました

はじめての宗教論 左巻 ナショナリズムと神学 (NHK出版新書)

はじめての宗教論 左巻 ナショナリズムと神学 (NHK出版新書)

なんだか著者の関心と私のそれがずれていて、ぬるいようにも感じた。でも、この本でしか読めない引っかかりがあったので良かったっす。

なぜ悪が存在するのか、最先端(?)の情報が手に入った。

汎神論とは神が遍在していると考える立場です。逆に言うと、この宇宙にあるものすべてを合算すると神になる。(略)

キリスト教神学の立場からは、汎神論を受け入れられるか。受け入れられると考えると、すでに創造されたものすべての中に神の意志が入っていることになる。

そうすると啓示下りてくる場がなくなってしまいます。キリスト教神学が汎神論を拒否する一番の理由がそれです。(略:かなり変な飛ばし方をしています)

もう一つ、倫理に関する困難が生じます。それこそが神が遍在しているこの世界に、なぜ悪が存在するのかという問題です。

この世を作ったのは神である。では、悪が善の欠如ではないとしたら、誰が悪を作ったのか。悪を作ったのは神ということになってしまう。(略)

われわれは神が外側からこの世界を作ったと発想しています。では、世界が作られる前、神はどこにいたのか。世界の外、宇宙の外にいたのか。(略)

カバラには、シェキナーという神の臨在概念があります。前章でも述べましたが、もともと神は世界に満ち満ちていた。ところが神が自発的に収縮して、別の世界に行ってしまった。

言ってみれば、隣の部屋に行っていしまったわけです。(略)

神の縮減によって生じたこの部屋では、われわれ人間が物事を自由に動かして何かを決めることができるわけです。しかし人間は原罪をもっている。そのような人間が行うのは悪しかありません。

ふ〜ん。おれっち、再現性のないことに興味はないのだが、面白い発想の転換だな。

私は人間が生きることに意味を求めないし、なぜ不条理があるのかにも他人の救済にも興味がない。

ラインホールド・ニーバーの句が好きなので、神学と相性が悪いわけではないと思うが、この本では本当に「はじめての」人向けの薄さで物足りなかった。

宮台先生が衒学的なことをいったりするときのレベルが高いと思う程度なんだけど。

といいつつ、finalventさんが時々伝える神学とは何だか輪郭が違ったし、

参考文献150冊が価値があるんだろうし、と、語学(俺の場合は英語とドイツ語だなー)をやったほうがいいのか?とか、この世にあるすべてのことを知るには(基礎文献を読むだけでも)時間があまりにも足りない的危機感を煽られた。

ブログ更新も楽しいけど、やっぱり週二ぐらいの頻度にしないと、まだまだインプットの時間が欲しい。

若いころの夢は毒でしかない気もするが。

俺の天職はいかに農業で農家をもうけさせるのか、37までは脇目も振らず、いやいや行き詰っていることを打破するためにはキョーヨーが必要なのだ。

でも今から読むのは「露の身ながら」。虎ちゃんとかこの年末に一冊読みたいし、ユダヤ戦記もなーとは思うんだけど、根本的なことを考える本を後回しになりがちなんだよな