南極越冬記

南極越冬記 (岩波新書 青版)

南極越冬記 (岩波新書 青版)

1957年、第一次南極観測隊長の話である。

小学3年生(?)等の雑誌にタロとジロの話は掲載されていたので、知らないわけではないが、誰か死ぬ可能性があったとか、裏側は綱渡りであったことは知らなかった。

誰か精神的に参ったとか、探検に行ったのに嵐で帰ってこなかったとか冷や冷やものである。

キャタピラの左うしろのスプロケットをとめてある大きなナットがいつのまにか脱落している。(略)

多分みつかるまい。(略)

寸法もネジ山もあわないナットにハンダを流しこんで、むりやりネジこんだ。

うまくしっかりとはまる。これがまたゆるむとだめになる。ちょうど紅茶をたてていた。これを雪とまぜて、べたべたくっつけた。たちまち凍って、セメントの用をする。

物がない中でいかに工夫するか。

能率というのは、「目的を果たしながら、もっとも要領よく手を抜くこと」である。

の精神であった。

たとえば、同じ性格の人たちが一致団結しても、せいぜいその力は「和」の形でしか増さないけれども、それぞれ異なる性格の人たちが団結した場合には、それは「積」の形でその力が大きくなるのではなかろうかと考える。

まとめるのも一苦労であるが

しかし一人でも出発に反対するものがあったら、あとで非協力という武器をもって禍根を残すことになっては困る。

隊長は気を使っていた。何しろ、未知の地域であったのである。

それで結局、みなの趣味というものは、寝ることとマージャンだけかということになる。

そう思うと、私は情けなくなってくるのだ。

せっかくこんな宝の山へ入って、なんでも調べたら面白いことが山のようにあるのに、ガチャガチャと、それもマージャンばかりして、せっかくの一世一代のチャンスを浪費していしまう。

かわいそうだなあと思う。

ちょっと愚痴ったりもする。


第一次隊が11人だった根拠、昭和基地の立地が良くないことは知っていたが、オングル島とういうところにあり大陸にはないこと、基地の場所を決めるまでと一度決めたら動かさない理由、

それからどうして犬たちが縛り付けられたままで第一次観測隊が帰ったかといえば、悪天候で入れ替わりになるはずの第二次隊が基地まで行けなくなったかららしいです。

犬の世話をする人が犬をすごくかわいがっていた話があるのだが、第三次隊のときに犬の無事を確かめたのはその人だったのだろうか。

岩波新書の50年 (岩波新書)

岩波新書の50年 (岩波新書)

によると、この本は1986年現在、33万部売れたそうである。

リスクを取る恐怖に対面する人にとっては、感情移入して他人ごとにできない本だろう。

最後まで無事に済むのか、ページをめくる手がだんだん早くなった。