完璧なイメージ 映像メディアはいかに社会を変えるか

完璧なイメージ―映像メディアはいかに社会を変えるか

完璧なイメージ―映像メディアはいかに社会を変えるか

著者はマイケル・サンデルの奥さんにしてハーバード大学の同僚である。

スラスラと読めるんだけど、いまいち頭に入ってこないのは、日本語版に当たり、略したり順番を入れ替えたりしたからかな。

南北戦争後、公共建築物や教室によくかかっていたエイブラハム・リンカーンの写真は、リンカーンの顔と南部の指導者だったジョン・キャルホーンの身体を組み合わせたものだ。

リンカーンが暗殺された後、死亡した大統領の写真を見たがった市民を満足させたのは、亡き大統領のふりをして棺に納まったリンカーンとうりふたつの人物を撮影した娯楽写真家だった。

家事のカリスマだったマーサ・スチュワートが出獄すると、『ニューズウィーク』の表紙には、自信ありげな笑みをうかげたマーサと、「マーサの最後の笑み―出獄してさらに痩せ、稼ぎ、ゴールデンタイムに向けて準備万端」というタイトルが掲載された。

だが、彼女は『ニューズウィーク』に掲載されたものほど痩せてはいなかった。その写真は、マーサの顔と、あるモデルの身体を合成したものだったのである。

写真は意外と結構騙しやすい。

騙しやすいというか、政治家はどう見せるかが勝負であり、メディア・アドバイザーの言いなり的な映画も作られている。

作られたシャッターチャンスに乗るのか。

『タイムズ』の一面の写真の変遷は、政治家たちをからかっているようで面白かった。

その手の失態を一般人もユーチューブ等で投稿できるようになり、愛嬌とされる場合はまだ良いとして、記録として永久に残るかもしれない。

私たちは世界に見せるために、イメージを作り上げる力を手に入れた。

芸能人や政治家と同じように、私たちはそのイメージをコントロールできなくなってしまったのである。

と、要約して意味がずれた。ごめんです。

5キロやせて見える写真が撮れるカメラとか、いろいろ発売されているらしいです。

写真を撮るときはポーズをする。

決してその人そのままというわけではない。

なんてだけの牧歌的な時代ではない。