教養について
先日のCakesの突込みは、書評がそれだけで完成していて、元ネタ本になぞが残るような書きぶりではなかったので、と、トラックバックを送ろうかと考えなくもなかったが、オレ、ほんとに突っ込むの嫌いだから。
別口でコメント欄に出没しようかどうか迷っているのであるが、それはさておき、教養について。
先日、「少子高齢化社会について」と言うお題であっさり800字書けた。
後日それっぽい新書を読むと、あながち間違っていないよーな、で、だから。
それこそ、ネットで探せば10分でわかることを、覚えている意味って何さ。
しかも、流通していることが正しいことは限らないという。
仕事しているとさ、世間で流通していることが的外れであることはよく分かる。
メディアの言うことも当てにしてはいけないんだろうな、みたいな。
でも、陰謀論にこけやすくなるのもヤダ。
何が真実ゲームをするのはたぶんまずい、と科学についての本を読んで。
反証可能性かな。方法論、正しい手順を踏めば、答えが出る、か?
(飛躍した?)
で、学問ってなんだろね…とかアホみたいだが(finalventの日記)で学問は方法論と書かれていたので、うまく着地したかな、と思っただけであるのだが、
知識を得るだけなら本を読め、か。
私のしたいことは外国の文献を読み漁りたいだけで、学問じゃねーか、と話がずれた。
新聞を読まないうちの家人と話すと、話があっちゃこっちゃ飛躍して、おもろい。
AならBになるという論理の流れの標準化がなされていないんだろう。
結局、教養と言うのは、あるクラスタで通用する知識に過ぎない気がする。
冥王星は惑星じゃないと言っている先生は、おかしいですか(BYフランケン・ウィニー)
知識と言うのは、結局ポストモダンで、あるどこかからは、どっちもありうるんだろうな、どっちが真実の話なのか当事者でないので結論が出ない。
正誤判定できる基準が欲しい。
本当は大学で、知識と学問の違いについて、しこたま仕込んでもらいたかったが、病気で潰えた。
今、研究のまとめでしごかれていて、それはそれで帳尻合うかな、と思ったりもするが、小手先の書類を整える技術だけと言う気が無きにしも非ずで、方法論と言うのは定められた技術の延長線上にあるものなのか、方法論だし形式重視で、と少し考え込んでいるのであった。
それはそれでロマンがないがそんなものなのか?