風眼抄

―ふと、このごろ考えたことだが、もし人間が、文字通りどんなことでもやれる、という空想的独裁者になったとしたら、そのやりたいことの一つに、自分の子どものころの世の中を再現させる、ということがありはしないか。

だから、今もしある地方のある町を、タイムトラベル的にすべて昭和初年の風景、服装、行事で復活させたら、五十男はみんな涙を流しながら馳せ集まるのではないか。

不幸とか挫折とか戦前は食うものもなかったとか、少し前はそういう心配はないが鬱屈は同じとか、今では普通の生活を維持するので精いっぱいで余裕がない、かな。

いつだって不幸の種はあって、人の不幸と自分の不幸を比べたことはないか。

だいたい人より自分が不幸だと思っている、気がする。

わが社は結構ステータスがある。中に入れば賤業だということが分って苦々しくなるが、見た目は良い。

(やりがいはありまくるし、そう適性もずれているわけでもなさそうだしというのが分かってきて、骨をうずめる気になっているが。給料は言われているより全然ありません。私はまだ銀行の初任給抜いていないし、残る気になったのはやっぱりやりがいの問題だな。続けるとしがらみも生まれるし。5年は黙って働けという意味が分かる)

第2新卒で入ってきた子は、ずっとわが社の入社試験に落ち続けてきてその挫折はストレートで入った先輩には分からないと言い放って、先輩の愚痴を聞いていたわけだが、その先輩は訳あって大学卒業に7年かかっている。

挫折を知らないわけがないであろう。

その事実を知らない子の前でもあったからか、その事実には触れなかったが(まさか本当に気にしていないとは思うが)。

私も大学7年組だし、タイミングよく拾ってもらえたが、それなりにってゆーか、大学受験で志望校に落ちたことで奈落を味わっていたので(立ち直りに1年)、それと比べれば全然大したことがない。

受験失敗なんてありふれているが、何でどれだけとか挫折の深さなんてそれぞれ違う。

特技は勉強しかないのに(できたのは1科目だけだけど)、難しいことを勉強させてもらえなかったら就職なんてできるわけないと、要は視野が狭くて自信が全くなかったのであるが、視野が狭いなりに大ショックであった。大学で知識を得る楽しみ、考察の楽しみを覚えたら、自信がついたんだけど。

でなんとなく、挫折は癒されるものだ的に思っていたのであるが、山風まじぱねぇ。

父母を幼いころに無くし、母屋はとられる(怨んではいないようだが)。

ところが、私が中学一年から二年へ上がる春に、こんどはその母が亡くなってしまったのである。(省略)

この年齢で母が亡くなることは、魂の酸欠状態をもたらす。

その打撃から脱するのに、私は十年を要した。

この十年ばかりの悲愁の記憶は、いつの日か私が死ぬとき、総括して私の人生は決して幸福ではなかった、という感想をさえ持つのではないか、と思わせるものであった。

あ〜マザコンの俺は30になっても母が亡くなったら大ダメージだろう。

私の想像の限界だったか。

不幸はどこにでも転がっているのだろう。

そこからどう立ち直るかしか問題ではないが、他人の挫折に対して想像力を持っていたい。

(持たないやつはやな奴だ)

山風は戦中派不戦日記の暗さが、暗かったんだけど、年を取ってのエッセイを見ると癒された部分もあるようには見えた。

反面基調は物悲しくて、時でも癒せないものもあるかもしれないとも思う。

山本七平と同じく私にはとてもかけない文章であるが、私は私なりの等身大の人生を生きるしかない。

いつか彼らと同じ悲しみを味わう日が来ることも覚悟して、とりあえず、今日は風呂入って寝ようっと。

風眼抄 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)

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