小林秀雄の流儀

小林秀雄の流儀 (新潮文庫)

小林秀雄の流儀 (新潮文庫)

字面を追うことしかできなかった。

最近、難しい本も読めるようになってきたかと思ったが、完敗であった。

この本の言っていることが、時代の中でどういう位置付けになるのか、どういう前提で書かれたのか、全く分からなかった。


宮台真司「愚民社会」が県で一番でかい本屋および系列店にまた1冊も入っていない。

宮台を求める層が、うちの県では見えるほど厚くない。

私は圧倒的マイノリティであるが、「知識人(笑)」というにも自分の考えがなさ過ぎて、ツイッターのフォロワー数3のただのノータリンである。

知識人がいいという訳ではないが、ま、知識人とは全く関係ないと思えるのは、小林秀雄本居宣長」は大冊で4000円と高価で専門書でもないのにかかわらず10万部売れたが、その主題は「日本の文化にはもう命がない」でこれからの話なのに、自分あまりそういうことにも関心がないっつーか10万人の中には入っていない。

だいたい、わてらの世代で「日本のこれから」なんていうやつは誇大妄想だけどさ、竹内好伝記で旧制中学がどーのこうのと言われると、私もキャキャウフフしたいでふ。

と、あんびばれんつなのであった。

いいんだ、私はひっそりと趣味で本を読むから。

われわれ凡人は、自らの労働を自ら選択できるという特権を持っている。大変な特権だ。

大学を選ぶ、職業を選ぶ、さらに第一の目標に失敗したら第二の目標に向える。なんという特権であろう。

だが、天才にはこの特権がない。

その意味では生得の権利とやらを剥奪されている人間である。(小林秀雄の流儀)

私には、大きなことを自分のことのように考える頭の回路は与えられなかったが、それは幸いなことでもあるんだろうと納得して、あーでも、この本は偉大な生活者について書かれた本で、そちらの目はまだないわけじゃないし、試験が終わったら1日2冊本を読む生活に入るんだ、オレ♪

↑生活者とは関係ないし