宮台教授の就活原論

職場のメンターに、東京勤務がしたい、シンガポール勤務がしたい、JICAって面白そうですね、というのはもちろん、司書の資格がいらない司書の募集があるんですよ(給料は今よりいい)、都庁がまだ受けれるんですよ、とぼそぼそ言っていたら、昨日の内田樹のHPが面白いよ。と言われてしまった。

ええ〜メンターが仕事に一生懸命で(家のこと放りっぱなしで上手くいっていない)のは、人のために仕事してるってことですか(そんなわけないじゃん)

でも、そういうことなんだってさ。

人間が努力をするのは、それが「自分のため」だからではありません。

「他の人のため」に働くときです。ぎりぎりに追い詰められたときに、それが自分の利益だけにかかわることなら、人間はわりとあっさり努力を放棄してしまいます。

「私が努力を放棄しても、困るのは私だけだ」からです。でも、もし自分が努力を止めてしまったら、それで誰かが深く苦しみ、傷つくことになると思ったら、人間は簡単には努力を止められない。

自分のために戦う人間は弱く、守るものがいる人間は強い。これは経験的にはきわめて蓋然性の高い命題です。

「オレがここで死んでも困るのはオレだけだ」と思う人間と、「《彼ら》のためにも、オレはこんなところで死ぬわけにはゆかない」と思う人間では、ぎりぎりの局面でのふんばり方がまるで違う。

内田樹の研究室(http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php

いや、俺の仕事はむやみやたらとやりがいがあります。

すべての職業がそうであるように、社の利益は社会の利益で、世のため人のためになるし、手を広げようと思ったら、本当に何でもできます。

自分の場合、2年目の職場でそろそろ仕事にも慣れてきたし、来年はああしたい、こうしたいというのが見えてきたに加えて、支店でやらなければと言われつつ、みんな日々の仕事に忙殺されてできなかったことを引き受けたいな、とゆー野望もでてきたりして。

でもそんなこんなをしていると、家事に回す時間がとれないっツーか。

俺の年収が330万円だからして、結婚するにしても共働きが基本になる。

女性が好きな男性と暮らそうと思えば年収278万円までは我慢できるというのはクリアーするとして、しかし、女性に好かれるためにかける時間が取れない。

とゆーか、最近とらさんのブログ更新が止まっていてさみしいのだが、自分も週に2冊の本読みとブログ更新は確保したいしなとか考えて、実入りは少ないが仕事での自己実現ができることを鑑みると、最近彼女との付き合いがちょっと嫌になっている。

付き合って楽しいが、その気のない自分に長々と彼女の大事な時間を費やさせるわけにはいけないのではないか。

なんて、向こうがどれほど真剣かは分かりませんけど。(意識していないわけではないというのは確認してあるけど)

宮台教授の就活原論

宮台教授の就活原論

で、自分の限界を見てみたい(これが今の俺)というやつには「帰還所があれば君は言葉通りに振る舞えるだろうが、帰還場所がなければ、口で何を言おうが、君には頑張りが利かない」と尋ねる。

それに、仕事での自己実現を求めるのは、コミュニケーションができない埋め合わせではないのか。

とかいわれると、秋津30歳、東京勤務を諦めても真面目に家庭を持つべきではないかと悩む。

刑法を夜間大学で学びたいし、そしたら放送大学の大学院にも行きたいし、と一人でも飽きないだろうけど。

まだ、35までは揺れる心も許されるだろうと思うけど、最近彼女と会う間隔が真面目に短いのでビビッているのであった。向こうはどうか知らないけど。

[追記]
なんか似たネタを連続投稿しているくせに、結論が違うのはなんとゆーか、まだ考え中なんですよ〜で一つよろしく☆