ZNTV東京支局

アフタヌーン四季賞大賞受賞の漫画である。

東京に隕石が落ちて20年後、東京は塀で囲まれ日本から忘れられた治外法権な廃墟と化していた。

新しく転任したTV局リポーター(けど東京の取材はしても放送はされない見捨てられた局)を主人公にとある事件を中心に描かれている。

まず政治マンガなのに説教臭く押し付けがましくないのは買いである。

でもさー、俺らの世代だと、なんでそういう惨状があったとして、伝えると言うことに燃えるのかってことが分からない。

なんとなく納得するから何となくそういう回路がある、で、いいのだろうか?

とゆーか、この小説は他階級である、他人であるということが描けていないと思うんだべ。

犯人を警察(もどき)につきだすと言う回路を持っているということで同類だと、感情移入の回路、もしくは正義があることを示すのだが、生まれてから治外法権で、そういう外の常識をわきまえているはずないじゃないか。

自分の常識と違うルールで動いている感覚が伝わってこなかった。

自分と違う思考回路の人とどうやって共存していくのか、共存するべき理由を書く必要があったと思うんだが、同類だから忘れないでいましょうと落とし込んだ気がする。

なんか、村社会の理屈で押し切った感じがした。

同じ日本人でも、共同体としてみるには広すぎるから困っているのに。

半径3m以上を気にする理屈が知りたいけど、この漫画の主張じゃ説得されない。

1kmと1万kmで同じ理屈を通すのは無理があると思って、自分は何キロがこういう理由でいいと思うとゆ〜のが私は見たかったと言うだけですが。

無限大なら無限大でこういう理屈で通すとはっきり書いてもらいたかった。

日本人の思考様式を持っていると同族意識を持たせているが、廃墟の住人は思考回路違う人のほうが多いから。

それでも気にかけないといけない理由は何?

遠くで同情するのはいいけど、近くによると敵対意識むき出しにされて身ぐるみはがそうとして、それでも同情すべき理由は実は同じ思考回路を持っている、分かりあえる。それはたまたまでしょう。

全ての人と分かりあえるというのはない。

分かりあえるかどうかは分からず、最後まで分かりあえない人と分かりあおうとする努力は確かにすごいが、

分かりあえない人の生活を心配する論理が知りたい。

同じ人間という以外で。

分かりあえない敵対意識むき出しの人を同じ人間と思うのはちょっときつい。

マザーテレサは一人だけだ。

この漫画は分かりあえる人ばかりを出して詐術を使われたようでちょっとずるっこかった。

長いマンガだけどだれなかったし、面白かったけど。