尊敬する人
昨日(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20101024/p2)の続きでだらだらと。
自分が認められたい人として、橋本治、宮台真司、finalventさんを何気に上げたわけだが、ちょっとハズイ。
橋本治は、「着想」の自分としては、ありきたりの材料で当たり前に論理を突き詰めるふうで、全く新しい結論を出すところ、自分の頭で考える人なところを、自分もああなりたいと尊敬している。(←おおっ、自分の言葉で語れたかな)
宮台真司はね、もう、
問題はここからだと言ったのは、近接性が抹消された後、再び近接性を構築するとして、どんな近接性をどう構築すれば自然か。
それを語らねばならないけど、語れば必ずパターナリスティック(上から目線)になり、語るだけでなく動員すればファシズムになります。
だからコミュニタリアンはこれぞ我々の共同性だとは言わない。コミュニタリアンを自称もしない。
それはいつもプラグマティックな問題でしかないと構えます。これを民主主義はどのみち領域内部的だという話に結びけて議論するのがムフです。
(中略)
これも「超えられない壁」に関係します。ユダヤ民族「が存在する」と言い続けるには「越えられない壁」を作る「必要がある」。ユダヤ哲学はスコラ神学と違って、宗教よりも理性が大きいと考えます。ただしユダヤ民族であり続けようとすること=厳格で細かい戒律に従おうとすること自体、つまり「大目的」自体、理性で説明できない。
でもそこで「それが信仰ということだ」と言います。サンデルの議論形式と似ます。
(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=928)
涎でますよ。宮台の真面目な文章は自分的当たり率が異様に高い。http://d.hatena.ne.jp/akizu/20100504/p2(「格差社会という不幸」)とかも興奮しているし
宮台真司は初めて読んだのが「自由な新世紀・不自由なあなた」で、その後半に感動したんですけど、その後「こういう基礎的なことは踏まえて当たり前、書きたくない」みたいな発言があったようななかったような、そんなこと言われてがびょ〜ん、もっと書いてください。
HPの社会学入門を本にしてくださいよう。嬉しさのあまり5冊ぐらい買い込むから。
システム理論を雑誌で連載していたんじゃなかったけ?そっちも読みたいのに数年前の話じゃない?
話を元に戻すと、私塾は知り合い繋がりじゃないとだめとか書かれたときのショックは忘れられない。
私は宮台にこいつを私塾には入れたら面白いと思われる人になりたいのでございました。
finalventさんは、今日ツイッターを覗いていたら、山本七平風味な雰囲気をまとっていて吹いた。
自分は山本の文章のちょっと諦念の混じった誰にも出せない静謐さ、信じたい気持ちがほのかに見える感じ,(←?)が好きなのである。
自分はこういう年の取り方は出来ないだろうと思うけど、尊敬する爺なのである。
とか書いて、認められたいのはメディア上の人ばっかりかよ。
身近にいる人には?
後輩としてはそれなりに認められているとゆ〜か、別に人間的に評価されたいとは思わないんだな。
信頼度で勝負する仕事についているし、人に影響を与えたいし、戦力として認められたいとは思うんだけどね。
順調にできることも多くなっている一方で失敗も当然あるし、一足飛びにこうなりたい理想を求めたりしたら、ストレスたまる。
リアルと比べて電脳上は失敗しないから大きく出られる面もあって良し悪し。
ちなみに自分の人間関係は仕事上だけなのがまずいが(だから中間的共同体に興味があるんだけど毎日10時間労働していたら無理だな)それはともかく、ほんとに周囲には肯定感を与えられて甘やかされていることよ。高い期待をされていないことの裏返しだし、いつかつけを払うんだろうな。