現代の処世 飽食時代の菜根譚 P1〜76
節義を看板にするものは、必ずその節義のゆえにそしりを受けるし、道学を標榜するものは、常にその道に因って咎めを招くものである。
それ故、君子は、不節義、不道徳のごとき悪事に近づかぬのは言う迄もないが、また強いて節義だの道学だのと善名を得ようとしない。
ただ、円満な、和気藹々たる態度を持って世に処している。
これが何よりも、その身を保つところの珍宝である。
最近はやっているという菜根譚は、論語みたいな人生お説教系(?)だと思っていたが、これは収穫だ。
この視点は全くなかった。
著者の山本七平自身もそうだったと書いているが、若いときは身にしみない。
けれど、戦争体験の中で、これが書いてあったことかと分かるときがあったそうだ。
道を誤らないために、事前に知っていたほうがいいと言われると、読んだみようという気になって正解だった。
(松下幸之助は途中で投げましたが読んでみてよいかも〜)
冒頭の引用は、なりきれていないとは思うものの、ただいい人を目指していた私には目からウロコでした。
断る力も発揮しなくてはいけないんだな〜
この本は、菜根譚と、七平の当てはまったときが書かれてあって、菜根譚の人生諸訓の重みが分かりやすくなっている。
「信念の人」と言うのは一歩誤ると「狂信の人」となり、決して「冷眼」すなわち「冷静な目」を持ちえなくなるからである。というのは、ありふれている。
しかし、七平が言うと、なんかその問題の重さ、「信念を持つ大切さが大事だが、変わり身の早さも大切」のジレンマがよく分かる。
私は信念も大切だと思いつつ、信念よりも変わり身の早さを重視しているが、信念をぎりぎりまで維持する根性を見せなければならないかも、修行が足らないという気になれる。
七平クオリティー→引退した新聞記者の、自身のものでない権力によっていたさまの、なんというのだろ、冷静になりきれない割り切れなさを、「一種の愚痴などはたいしたことでないし、見方を変えればお互い様といえる」と言い切るところ。
- 作者: 山本七平
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