「思考人間」と「感覚人間」(BYダイヤモンドオンライン)
こんなふうに未来の目標についてあれこれ思い悩む人が「思考人間」なら、今という時間をめいっぱい楽しむ人は「感覚人間」と呼ぶべきか。
このうち、環境の変化に強く、うつになりにくいのは後者だと、松本さんは話す。
(http://diamond.jp/series/depress/3/)
気分至上主義でその場しのぎで生きているが、それでも最近ちょっと死にたくなる。
1年前まではそういう傾向もなく、思い始めたのは最近だ。
私の病気は自殺率の高さが特徴だから、洒落にならないのだがそれはともかく、会社で失敗して落ち込んだとき、このまま死んじゃってもいいかなって思う。
思ったときにそれを押しとどめる理由がない。
これで本を読む時間があれば、気分転換にもなるが、最近その時間が取れないからさ〜
こんなふうに、多少の充実感と失速間の往復で人生が終わるんだろうなと思うと、別にそれでもいいんだけど、これさえやり過ごせばって動機付けに欠ける。
まだ、結婚とかライフイベントに期待しているからいいけど、これからさき10年、20年たって人生に先がなくなると何に期待するんだろう。
死んだ気になれば何でもできると思ってきたが、死んだ気になればそれこそ死ぬこともできるんじゃないのかと思ったり。
私は生きる理由なんて考えたこともない。その日暮らしで楽しく生きればいい派だったけど、生きる理由があるんだったら死ぬ理由がないってことだよな。
初めて、生きる理由を見つける必要性を感じた。
・・・本を読む時間が確保できれば問題を先送りすることも可能だし、先送りしていれば、短い人生すぐに終わるさなのだが。
(宮台の影響かw失速間をやり過ごす術は小さいときから試行錯誤して自分なりに見つけておいておかないとだめだね。)
いんすぱいやーどBYfinalventの日記(http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100309/1268095048)
数年波にのって収入が多くても続かなければしかたないし、逆に安定が続くことを優先すると好きでもないことをやって鬱になるくらいなもので、つまり、一般解が個的な解に整合しない、と、わりきって、一般解からは少し距離をおいたほうがいいと思う。