オタク趣味は抵抗感ない世代でも、オタクに対する偏見はある
自分は大学生のとき、本を読むのはかっこ悪いので、人前では極力読まないようにしていた。
大学の研究室でジャンプは回し読みにされていましたけね。
漫画好きは別に普通のことだし、そのことで偏見を受けることはない。自分は1980年代生まれだ。
エヴァの映画は周りの仲間で見に行った。
友達がアスカをなぜそんなに気に入っていたか分からなかったし、アダルトチルドレン的な視点なんて全くなかった。
それはともかく社会的現象を起こしていたらしい、当時、アニメが時代の空気をつかんでいて、流行に乗ったら差別なんてない。
高三の学園祭のとき、ポスターにポケモンの鴨ネギを書いたら、成績トップグループの子が仲間の前で「ポケモンだ」と言った。
会社の同期はニコ動から落としたらしきゲームっぽい電子音の音楽を若手の旅行の車中で流すためにわざわざ持ってくるし、別の子はもやしもん面白かったと力説するし。
オタクといえばみんなオタクで、裾野が広くてオタク趣味の人に一定の傾向がない。
(サブカルチャー神話解体は今でも通用するのか興味がある)
偏見を受けることがないから、安心してオタク趣味を公言できる。だからと言って、(かつての)オタク趣味を持つとはいえ、(四角定義な)オタクだとは思っていないんじゃないのかと同級生ズを見て思う。
オタク趣味とオタクとは別問題だ。
オタクといえば、視野が狭い頑固な非コミュという定義で、自分はそれに当てはまらないと思っている感じだ。
その代わり、活字好きは頭が悪いという偏見はあったし、自分はそういう偏見で見られたくなかった。
偏見を受ける対象は時代によって違い、オタク趣味が公言できる世代が一定数に達したというだけだと思う。
偏見で見られることをわざわざ公表する人はイメージ戦略のできないただのバカだし。
(自分の病名は公表したら絶対に親が子どもを近づけさせない。無用な苦労はしたくない)
世間で評判のいいことを試してみる人は一般人だし、評判が悪いというので試してみる人も評判に左右される点で一般人だ。
オタク趣味を持つ人は数多く、オタク趣味は一般化した。
オタク趣味の人が増えて、自分で評判にとらわれない判断ができる人、何でも試してみる(稀有な)ノーボーダーが増えた気がするだけのような気がする。
それに、偏見、ある一定のイメージを受けるときそれにどう対処するのかと言うイメージ戦略の問題が混在したのではないのかと思ったり。
(http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100302/p1)
(http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100302/p5)
限定自分一人なオタクという言葉のイメージを書いてみた。自分は自分のことをオタクだと思っているけどね。