自分は中途半端である

昨日の「神様についていろいろと」(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20100101/p2)のまとめ
1不条理に納得するため神は必要である
2孤独をいやし、一人で立つwために共にある神は必要である(含む。決断を下すときの勇気を得るために)

確かに私も大学3年までは無神論者だとはっきり言えたのよね。この年まで生きると人生先が見えることもあるし、神にすがりたい機微もわかってくるとゆ〜か。

話変わりますが、[考えごと]はまさに今考えていることをそのまま書いています。書いたものを添削して一本の論理にまとめたら削られまくって残るものが何もないという経験をすること2度。

思いつくままを描く。飛んでいる部分は気にしない。書いたことが客観的に見られ思考が進むと、ブログ書く甲斐あったなと思える。

…母親には形ないことでうじゃうじゃ悩むのはいかんといわれて、今日もこそこそ更新していますが、思索は生きるために必要です。

私が[考えごと]を書くのは3カ月に一度ぐらいなもんだし、読書は1週間に2冊読む程度だし(最近ラノベが多いのは読書時間を取りたくないのをごまかしているため)、私は人に語ることなんて何も持っていないけど、でも思索の時間が取れないと人格変わると思う。

真理の追求には萌えるけど、気が向いた時に向き合う健全さで、自分はずっと研究できないと思い知らされた大学時代だったわけですが。

ま、新しいことを知るのは好きだけど、自分で新しい発見をする楽しさは見つけられなかった。繰り返す実験で失敗が続く。失敗に耐えられないって話変わりました。

アズキ洗いにはなれないから(http://d.hatena.ne.jp/kaien/20091224/p1)、凡人の幸せを追求したいです。

凡人と書いたらやっぱり家庭を持って子供を育てたい気分になる。「巡礼」(橋本治)読むと、普通の幸せがいかに意識的に努力しないと手に入らないか思い知らされて引くんだけどさ。